June 02, 2005
第15回(最終回):風が吹くと・・・リタイア
風が吹くと車が壊れる by 北
脱出したと思っていたネマの谷、長野号は、まだその中にいたようです。
夜空の下、長く大きな崖が黒いシルエットになって遠くに連なっています。その姿を追いかけて走りたいのですが、時折吹くハルマッタンの風が砂塵が舞い上げ、崖のシルエットを隠してしまいます。その崖のどこかにネマの谷を脱出するためのワジ(枯川)が潜んでいるはず。でも25Km先のこと、まだ、ここからでは分りません。
それにしても、なぜ多くのラリーカーがここでミスコースしているのか不思議です。大型のカミオンが左から右へ、また戻ってきて右から左へ。それにつられるようにラリーカーも色々な方向からこのポイントへやってきては、意外な方向へと向かっていきます。まるで、すべてのドライバーが夢の中をさまよい、方向を失っているようです。
午前1:00、長野号もコマ地図の指示に従ってCAP(方位)350に向かって走り始めました。ワダチをトレースするのですが、すぐに分かれてしまいます。さらには、ハルマッタンの風に吹かれてパウダー状の砂が飛んでしまい、ワダチが無くなってしまいました。
進むこと数キロ、大きな谷に出くわしました。行き止まりです。
「エッ! 何だ・・・こんな谷、コマ地図に載ってないぞ」
「コリャー皆が迷ってしまうはずだ・・・どうする?」
「しょうがない、戻るしかないな」
パリダカのような長距離ラリーでミスコースしたら、確実に分っている場所まで戻るのが鉄則です。山勘で新しいルートを見つけようとしても、夜間ではなかなか成功しません。無線中継所まで引き返すのですが、他のラリーカーもまったく同じ事をやっています。
再度アタックです。今度もCAP(方位)350。でも違うワダチを追い掛けることにしました。走ること数キロ、やはり谷に面してしまいますが、今回は無線中継所には戻りません。その谷に沿って東に進路を取ったのです。大きく進路を変更しながらルートを見つけるのは、かなり難しいことです。走行距離が変わってくるので、コマ地図の指示が読み込めなくなってしまいます。
「クソー、何て場所だ。まるでコマ地図と違ってるじゃないか」
「・・・」
「どうした菊ちゃん」
「ウン?・・・ゴメン、寝てしまった」
「・・・」
ダカールまで後2日。疲労が蓄積しているところに、砂丘の尾根を飛んだり、スタックを引き上げたりで、疲れと眠気が最高潮に達しています。さらに時間も夜中の2:00になってしまい、もうヨレヨレです。朝6時までにティジカジャへゴールできなければリタイアですが、ティジカジャまで、まだ200Kmもあります。時速100Km/hではゴールにギリギリでしょうから、ここでの残り時間は1時間程度。遅くとも午前4時までにネマの谷を脱出しなければなりません。疲れと眠気に焦りが加わり、次第に判断力が失われていきます。
暗い谷の奥からバォ――っと風が吹き上がり、赤い砂塵が渦を巻きながら長野号を包んでしまいました。前が見えません。急停車!
「クッソー、今まで風はなかったのに、なぜだ!」
「もう時間がない!」
ナビコンに刻まれる赤いデジタル表示だけが、ポツンポツンと時を加えていきます。
「ワジまで10Km、CAP350!」
「でも、CAP350は谷だ。ここを降りるのか」
「そんな指示はない!」
「バカヤロ―!」
焦りで半分パニックです。時折、見え隠れする黒い崖に向かって進みたいのですが、谷に進路を阻まれて動きが取れません。残る時間はもう30分。それまでに、この地「悪魔が住むというネマの谷」を脱出できなければリタイアになってしまうのです。
ズルをしてサハラ砂漠を迂回してきたのに・・・。マドンナを置き去りしてしまったのに・・・。そうした思いが悔しさと焦りと共に胸の奥から湧き上がってきます。
――風が吹くと・・・リタイア
ネマの悪魔は、ハルマッタンの風に姿を変え、長野号を砂塵の中に閉じ込めてしまったようです。
「時間だ! タイムアウトだ!」
「クソッ、もう少し、もう少し進んでみよう!」
用心しながら進んでいた長野号、危険を覚悟で一気にスピードを上げた、その時です。見えない岩にガツンと乗り上げてしまいました。ネマの谷、脱出に失敗です。
ヘッドライトは付きっぱなし、エンジンも緩やかなアイドリングの音を唸らせたままになっています。ナビコンの赤いデジタル時計だけが進む中、二人は、前傾姿勢でシートベルトにもたれかかり、頭をがっくりと下にうなだれて諦めと悔しさの眠りへと落ち込んでいったのでした。
太陽のキラッと輝く光を受け、目が醒めました。谷全体が明るく朝日に照らされ、長く続く崖の行く手に1本の細い割れ目が見えます。ワジ(枯川)です。
「・・・ワジ、あそこにあったんだ」
「見えなかった・・・」
昼間だと何でもないルート、夜の闇とハルマッタンがすべてを覆い隠し、行く手を遮っていたのです。
何もなかったような朝、広大な砂漠に長野号は、ポツンと取り残されてしまいました。私達の20Km後ろの砂丘には、マドンナとジョルジョが残されています。そして、この悪魔の住むというネマの谷で多くのラリーカーが失意の朝を向かえたのでした。
パリダカ・・・その後
リタイアの後、ティジカジャで待っていた長野2号と合流し、ダカールへと向かいました。無念のリタイアですが、気楽な二人、気分は一気に観光客に変身です。ダカールまで無事に辿りつきましたし、何しろ面白かった。パリダカ、やっぱり究極の冒険パックツアーですね。
ダカールから家内に電話です。
「アハハ・・・リタイアしてしまったぞ」
「フフフッ・・・知ってたわ。テレビでやってたから。額は大丈夫? 映像でテープ張ってたけど」
「アア、かすり傷だよ」
「そう・・・それじゃ、ダカールとパリで、余計なことしないで早く帰ってくるのよ。待ってるから」
「余計なこと?」
「そう、真面目に帰ってきてね」
ということで、私、いたって真面目に帰国して、砂漠にはなかった湿度十分な、甘くロマンチックな日本の夜を過ごすことになったのでありました。
パリダカ・・・3ヵ月後
体力、気力共に充実する中、仕事に没頭していたある日、家内が微笑みながら呟きました。
「ネエ、できたわよ」
「オウ、夕食か・・・さあ食べよう」
「・・・まったくゥ・・・赤ちゃんよ」
「エッ! 本当に・・・」
「そう、パリダカのお土産みたい」
そうか・・・あの時の・・・となってしまたのでした。
パリダカ・・・6ヵ月後
家内が順調に子供をお腹の中で育んでいた夏、一本の電話がありました。
「北さんですか? カシオ広報部ですが・・・」
話の内容は、次回のパリダカにカシオチームのドライバーで参加しませんか、という誘いです。ビックリしながら菊チャンに連絡します。
「パリダカは、一回行けば十分だって思ってたけれど、どうする、もう一度行く?」
「だよなー、リタイアで終わるってのも癪だよね」
ってことで、とりあえず次回のパリダカ参戦の話を進めながら、それとなく次のパリダカを家内に打ち明けることにしたのです。
「エッ! また行くの!・・・今回はやめて、赤ちゃんが生まれるのよ」
「ウムー・・・でもね、リタイアで終わるの、残念だと思わない? 人生一度だし」
なんて、理由にもならない説得をやんわりと続けたのですが、結局、家内のお母さんの協力をもらって再出場ってことになりました。そして・・・。
パリダカ・・・10ヶ月と10日後
第13回パリダカ・ラリーの出発直前、パリのホテルにいた私に家内から電話が入りました。
「あなた、生まれましたよ。男の子」
「そうかー、よくやった! ありがとう」
「ところであなた、1週間以内に名前を役所に届けなくちゃいけないのよ。それ、よろしくね」
――まずい・・・仕返しがやってきた。
「エッ? だって、今から砂漠に行くんだけど・・・」
「私は、きちんと子供を生みました。次は、あなたの仕事です。名前決めたら連絡してね」
「砂漠に公衆電話あるかなー?」
ということで、今回のパリダカ、砂漠の途中で公衆電話を探すことになってしまったのです。菊ちゃん、呆れた様子で笑っています。
スタートして1週間、前回はズルで迂回したサハラ砂漠のど真ん中、ゴソロロに到着です。そこがその日のゴール、やや岩場交じりの砂丘でキャンプをします。そしてゴソロロ、ここから日本へ国際電話を試みることになっていたのです。実はTVの取材チームがパリダカを衛星放送していたのですが、TV回線を使用しない夜間、その回線を電話に繋いでくれるというのです。感謝。
砂の上、ジュラルミンケースに電話が置かれ、その横に小さな携帯用のパラボラアンテナが南の空へ向かって広げられています。TVスタッフが難しそうな機械を操作し始めて数分、指を丸めてOKマークが出されました。いよいよ約束の電話です。
衛星回線が開きます。
「ルルル、ルルル、・・・はい、北です」
とても鮮明な家内の声です。時間差も生じていません。
「もしもし、私です。約束の電話ですよ」
「あ・・・あなた! どこにいるの」
「サハラ砂漠のど真ん中」
「エー・・・どうやって電話してるの?」
サハラ砂漠の夜、パラボラアンテナの向けられた空には満点の星が輝いています。その空に浮かぶ小さな星の一つから家内の声が聞こえてくるのです。彼女の陽気な話し声に頷きながら星空を眺めていると、優しいハルマッタンの風が私の頬を撫でるように吹き過ぎていきました。
「ありがとう」 そう電話に答えると、・・・不覚にも涙を一粒、砂漠に落としてしまいました。
砂漠脱出の物語、2年越しのゴールとなってしまいましたが、お付き合いいただき有難うございました。身近な車のトラブルをレポートする予定でしたが、砂漠に入り込んでからは、物語を脱出するのが難しくなってしまいました。自然の中って、それだけ魅力的なのかもしれませんね。森や海へ、皆様も楽しいカーライフを。 (北)
text by 北 | 2005.06.02 | [ 風が吹くと車が壊れる ] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
May 25, 2005
第14回:ラリーカー、空を飛ぶ
風が吹くと車が壊れる by 北
前回に引き続き、パリダカ最大の混乱、悪魔が住むというネマの谷の物語をお送りします。
ボンネットに足を乗せて屋根に座ってタバコを吸うこと、もう何回もやりました。出発前に二人で話し合っていたのです。もしミスコースしそうになったり、トラブルに巻き込まれたら、まず高い所に車を止めて、運転をやめよう。そしてタバコを吸う5分間で状況を把握し、作戦を作ろうって。
リビア砂漠でミスコースしそうになった時も、タバコを咥えて屋根の上にレッサーパンダのように立ち上がって遠くを眺め、かすかに昇る砂煙を見つけて難を脱しました。
「何やってんの、長野号」って言われてしまいそうですが、20日を超える長期ラリー、この5分間の休憩が何度も私達をミスから救ってくれたのです。
今回のネマの谷、同じように屋根に座ってタバコを吸いながら菊ちゃんと話し合います。
「谷に下りていくとスタックの中に入り込んで脱出できなくなるな」
「そう、でも他にルートはないし」
「・・・」
「空を飛べるといいのにな」
なんて夢みたいな事を言いながら、二人、砂丘の上の尾根を見上げました。
砂丘では、ボーっとしていると、車、下へ向かって落ちていこうとします。そして一旦穴の中に入ってしまうとフカフカの砂に足を取られ、脱出する事が難しくなってしまうので、危ない時には、どの方向へも展開できる砂丘の上へ位置していたほうが有利なのです。
今回、もし砂丘の尾根まで登ることができれば、尾根沿いに走ってネマの谷をやり過ごすことが可能かもしれません。でも、その尾根にたどり着くには、今までと同じくらいの高さを登らなくてはなりませんし、きっと何度もスタックをすることになるでしょう。
二人はジッと砂丘の上を見上げています。
「飛んでみる?」
「そう、飛んでみようか」
二人はニッコリ笑うと、進路とはまるっきり方向の違う砂丘を登り始めたのでした。しかし角度が急で、すぐにスタック。サンドラダーを敷いてガガーっと登るのですが、またスタック。その繰り返しです。
こうなると、一人は完全に車の外に出て長野号と一緒に歩いていく事になります。
「ゼイゼイ・・・もうだめだ。体がもたん・・・水!」
「よし、交代だ」
運転を交代して、また登り続けます。
「ハーハー・・・水、水をくれ!」
これじゃ華麗なパリダカではありません。まるでジャングルを走るキャメルトロフィーです。(写真はサンドラダ―を使ってクリークを渡るキャメルトロフィー)
無理やり長野号を砂丘の上へ引き上げること、小1時間。やっと尾根に到着です。
「ゼイゼイ・・・やったね」
「ハーハー・・・ここから・・・飛ぶぞ」
下を見ると谷の中で20台以上のラリーカーが、ヘッドライトをあちこちに照らしながらスタックしています。もし、うまく砂丘の尾根を走り抜ける事ができれば、下から見上げる長野号、空を飛んでるように見えるはずです。
失敗すれば、途中で尾根を外れて谷へ落ちていくかもしれません。そうなれば、ゴロゴロと横転ですから、きつくシートベルトを引き締めなおします。
「行くぞ」
「よし、発進!」
普段はボロボロボロ・・・カックンと走っている長野号、ここだけは本物のラリーカーになってもらわなくては困ります。プジョーやパジェロと同じように、バォ――ンというハイテンションなエグゾースト音を発てて、一気に砂丘の尾根を走り始めました。
「空を見ろ!・・・鳥だ、飛行機だ、いや・・・スーパー長野号!」(チョッと古すぎかな) てな感じでブンブンに尾根を走り抜けるのですが、谷の中、皆は足元ばかり見ていて長野号に気が付いてないようです。
「危ない、右だ!・・・行きすぎ、左だ!」
なんて叫びながら一気に谷間の20台をゴボウ抜き。
「よっしゃー、うまく行ってるぞ!走れ!飛べ!」
時々軽くジャンプし、砂を右や左に蹴りながら砂丘の尾根を走り抜けようとしたその時、考えていませんでした、今回のエンディング方法。砂丘の尾根が終わってしまい、急激に次の谷へ転落です。
「アレー! 前転するぞー」
「ヤバイ、止まれ!」
ドッシ――ン
長野号、強い衝撃を受けて次の谷へ墜落するようにハードランディングです。飛行には成功したのですが、着陸に失敗です。
でも、ここまで来れば大丈夫。一番難しい悪魔の谷を越えたので、そこからは大して難しいルートはなさそうです。どうにか蟻地獄を脱出してきた他のラリーカーも、急々とスピードを上げて走り抜けて行きます。
ヤレヤレと思いながら、正規のルートへ向かって進み始めると、一台のラリーカーがボンネットを開けて止まっていました。ヘッドライトに映った姿は、パステルグレーに白とピンク。
「ジョルジョとマドンナだ」
急停車です。エンジンルームにジョルジョが頭を突っ込んでいます。
「どうした、ジョルジョ!」
ところが、エンジンルームからフッと振り返ったのは、ジョルジョではなくマドンナだったのです。
「エッ・・・マドンナ? ジョルジョは?」
「ジョルジョ、ネマの谷で力を出しきってエグゾーストしてしまったの。そして車は故障。水ある?」
見ると、助手席でジョルジョがボーっと遠い目線になっています。ネマの谷を一人で脱出させ、力尽きたのかもしれません。脱水症を起しているようです。
「水はどうしたの?」
「緊急用の水まで飲みきったの」
急いで私達の水をジョルジョに渡します。すると一気に水を飲んでしまいそうです。
「待て、全部飲むんじゃない」
あわててボトルを奪うように取り上げ、残り少なくなってしまった水をマドンナに渡します。
「Kitta、お願い。車を見てくれない。燃料がエンジンまで行ってないみたいなの」
私達、メカニックは素人です。でもエンジンを見回すと原因が分りました。直噴ガソリンエンジンのフュ―ル・インジェクションのパイプが変形し割れているのです。この部分、圧力を受けているのでガムテープっていう訳にはいきません。パイプを取り替えるしか方法はなさそうです。
「ごめんマドンナ。この修理、無理だ。部品もないし。サポートカミオンが来るまで待つしかない」
「でも、ここはミスコースの場所よ。カミオン来るかしら」
「・・・」
マドンナの顔は砂に汚れ、まつ毛にも砂埃が白く付いています。美しい瞳に疲れが蓄積しているが分るのですが、ダカールまで後2日、すべての参加者が同じような疲れの中で走り続けています。私達もヘトヘトです。
マドンナが、思い出すような口調で言いました。
「ジョルジョが言ってたわ。キャメルトロフィーに出た男は裏切らない。トラブルがあれば、どんな状況でも皆で解決しようとするんだって」
砂に反射したヘッドライトがマドンナの顔を横から照らし、微かに光る瞳が私達を見つめています。
チームスピリット。約束の言葉だったはずなのに・・・。疲れきった体が砂のようにさらさらと流れ、砂漠の中に吸い込まれていくようです。
長く感じた沈黙の後、マドンナが低い声でゆっくりと呟きました。
「お願い・・・私達を・・・助けて」
彼女の小さな囁きが波紋のように、疲れた体と心の中に広がります。
時間はほとんど残されていないのですが、もう少しやってみよう。そう思って足を一歩踏み出そうとした瞬間、菊ちゃんが私の袖を軽く摘んだのです。
横を向くと、菊ちゃんは穏やかな顔をしていました。でも目は、「行こうよ」と現実を訴えています。「悪い菊ちゃん。もう10分だけ、ジョルジョとマドンナに・・・」と言おうとした時でした。
「フフフッ」っとマドンナが微笑んだのです。
「ちょっと試してみただけよ、あなた達がどんな男なのか。・・・よく分ったわ。さあ、行って、早く行って! そうしないと、あなた達もリタイヤするわ」
赤い砂丘の上には無数の星が輝いています。ネマの谷には悪魔がいる、と誰が言ったのでしょう。
私達は緊急用の水を半分、マドンナとジョルジョのために残し、手を一度だけ握りしめて長野号を発進させたのでした。
谷を抜け、台地に出てきました。砂丘はなくなり土漠です。1本の大きなバオバブの木に遭遇し、その先に無線通信所がありました。
「やったぞ・・・正規のルートに戻った」
コマ地図を見ると、バオバブの先に通信施設と書いてあります。そこからカップ(方位)350の北上です。そして目指すは、さらなる台地の上へ向けてネマの谷?を抜けるワジ(枯川)まで25Kmと指示されています。ワジというのは雨が降ると川になる部分なのですが、普段は細い谷間になっているだけ。路面が土漠とは違い、白いパウダー状になっていたりで、意外と走りにくい場所です。
そのワジを目指して通信施設の横を通過したのですが、何だか変です。ワダチがぐちゃぐちゃになっていますし、消えてる部分もあります。とその時、前方からヘッドライトを煌々とつけたカミオンが数台、爆音を発ててこちらに向かって戻ってきました。
「何だー。逆走してきたぞ」
「ゲー・・・また、ミスコースだ。コースが分らなくって戻って来んだ」
すると今度は、東からラリーカーが連続して走ってきました。完全に方向を失っています。
「もしかして、さっきの砂丘の谷はネマの谷じゃなくて、ここいら全体がネマの谷じゃないのか」
「きっとそうだ、俺達まだネマの谷から脱出してないんだよ。悪魔が・・・」
突然、ハルマッタンの風がファーと吹きつけ、砂塵を舞い上げたのでした。 (続く)
text by 北 | 2005.05.25 | [ 風が吹くと車が壊れる ] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
May 19, 2005
第13回:パリダカのマドンナ
風が吹くと車が壊れる by 北
第12回パリダカ、中間地点アガデスで1日の休息です。
車を修理し、十分な食事と睡眠を取るのですが、なにより嬉しいのはシャワーを浴びれること。アフリカに入って10日近くもシャワーを浴びていないので、髪の毛はガチガチ、皮膚は垢まみれ。でも、下着と靴下は毎日交換していますし、乾燥した地域なので匂いはそれ程・・・(汚い話で失礼)。 その下着、洗濯しながらラリーを走るわけにはいきませんから、すべて使い捨てです。家にあった下着をすべて動員して20組も持参しました。
久しぶりにシャワーを浴びると、皮膚がヒリヒリするんですね。そんな一皮むけた肌を爽やかな砂漠の風にそよがせながら、やっと手に入れた少々ぬるいビールをグビってやると、昨夜の緊張も忘れてしまい、まさに天国。
「死ぬー」「ヤベー」なんて騒いでいたのは誰? って感じです。
アガデスに着くと、まずは地元の若者や子供達に囲まれてリクルート攻めに合ってしまいます。彼らにとってパリダカは年に一度のお祭りですし、同時に現金収入を得る大きなチャンスです。
英語が話せるから通訳にどうだ(長野2号が既にお願いしていました)。巨漢が3人やってきて、駐車しているラリーカーの警備をしてやろう、でないと子供達に悪さされるぞ(断ると何が起きるか分らないので、彼らにもお願いすることにしました)。さらに子供達が10人程で修理を手伝いたいとのこと。他のチームから声が掛かります。
「やめとけ、工具がなくなるぞ」
それを聞いた菊ちゃん、ちょっとムッとして、
「そんなことはない。きちんと教えれば修理の手伝いくらいできる」
そんな訳で、子供達も一緒に、ということになったのですが・・・何をやってもらおう?
彼らのために見つけた仕事。それは二人一組でタイヤのボルトはずしです。タイヤを外し終えると、ボルトを布で磨いて、今度は次の二人にタイヤを付けてもらいます。
「これで、お小遣いができるね。何に使うの」
と聞くと、年長の子供が笑いながら答えました。
「お母さんにあげるんだよ」
「・・・」
今の日本では聞かなくなった言葉です。菊ちゃんと私、この言葉に感じ入ってしまい、つい約束の倍の額を子供たちに渡してしまったのでした。
「これは、君のお小遣いだ」
「そして、これはお母さんに」
溌剌と笑い、よく走る、幸せそうな子供達でした。
こんな楽しい修理をしていると、後ろから奇妙な英語で声を掛けられました。
「ヘーイ、Kitta じゃないのか」
「エッ、誰?・・・アッ、ジョルジョ!」
不意に声を掛けていたのは、キャメルトロフィーのイタリア代表だったジョルジョです。
「何やってんの」
「お前こそ、何やってんの」
お互い、分りきったことを聞いてしまいました。そして、懐かし気に話を進めていると、まるで砂漠に舞い降りてきた白鳥のように可憐で美しい女性が近づいてきたのです。長い髪にブルーの目をしています。
「Kitta、紹介しよう。俺のパートナー、マドンナ」
「ヒェー!・・・ジョルジョ。お前、こんな美人を・・・」
「バカ、かみさんじゃないよ。パリダカのパートナー、ナビゲーターだ」
ジョルジョ、今回のパリダカ参戦は、オーナー件ナビゲーターのマドンナに誘われてドライバーをやっているとの事。さらにビックリしたのは、彼らのラリーカーです。パステルグレーを基調に白とピンクで着色されたメルセデス・ベンツGクラスにスポンサーの名前がまったく入っていません。
私達の「長野号」、長野県民や長野県下の企業が、皆で少しづつ応援しての参加ですから、スポンサーのステッカーだらけ。一見、つぎはぎだらけに見えてしまいます(長野の皆さんゴメンなさい)。
それにしても、スポンサーの文字が入ってないとすれば、すべて自費です。もしかして、とんでもない富豪の娘さんかもしれない。なんて思うと、ジョルジョなんて無視して、私と菊ちゃん、急にマドンナに優しくなってしまいました。
「マドンナちゃん、もうレースに慣れたかなー?」
「エー、楽しんでるわ。お二人は如何? 結構、苦戦してるみたいね、おでこ傷つけたりして」
ン? と上目使いになり、額に手をやりながら、
「オイオイ、きついこと言うねー。ビール呑めたからもう大丈夫。パーフェクトだね」
「フーン、日本男児も結構、気楽なのね」
参りました。私と菊ちゃん、イタリアの男性よりも気楽な日本男児って見られてしまいました。それにしてもマドンナちゃん、溜息の出そうな美人です。
そして後日、彼女とは「ネマの谷」でロマンチック?な再会をすることになるのです。
赤く大きな太陽が、ゆったりと砂の地平線に沈む頃、あちこちからエグゾースト・ノートが聞こえてきます。1日かけて整備したラリーカー、最後の調整をやっているのでしょう。でも、まだアーク溶接の火花をバシバシ飛ばしているチームもいます。シャーシに大きなトラブルを抱えているのかもしれません。
シシカバブをしっかり食べ、ビールも呑み、美女とも話し、ホテルの黄色い土壁の中にポンと置かれたマットに寝転がると、私と菊ちゃん、明朝のスタート時間へ向かって、一気に爆睡状態へと落ち込んでいったのでした。
1月7日朝6時、アガデスからのスタートです。集まったラリーカーを見てビックリ。数がグンと少なくなっています。アフリカに入った直後のトリポリに比べると半分程度。かなりのチームがリタイアしてしまいました。
「北さん、こんなに車が少なくなると、もうズルはできなくなるね」
「そうだな、目立ってしまうからなー」
なんてことを話していると、トップクラスのラリーカーが出発です。
ババン、ババン、ババン、バォ―ン、パンパン、パォ―――ン ってかっこよくスタートするのは、プジョーやパジェロ。私達はいたって普通の何でもない発進です。
指3本、指2本、指1本、グウ(ジャンケンの)で、スタート!
ブルブルブル・・・カックン、ボロボロボロ・・・カックン、バラバラバラ・・・てな風なので、観客からの声援も上がらず、アレアレという感じで見送られました。
パリダカ・ラリーの進路は、コマ地図で指示されます。パリからダカールまでの20日間、1日あたり3〜4センチの厚さのコマ地図が20部も渡されたのですから、「エッ、これを全部走るの」 ってビックリ。
コマ地図のルート説明は、パリダカ開催の数ヶ月前に主催者が実際にルートを走って記載したものです。その調査風景をご覧になりたい方は、クロード・ルルーシェ監督の映画「続・男と女」(「男と女」の続編です)のビデオをレンタルしてみて下さい。綺麗な砂漠とパリダカのルート開発の様子が見れますよ。
コマ地図の説明はこんな感じです。
<カップ(方位)270で3Km走るとバオバブの木があるから、そこからカップ200へ>
これは、まだ良いほうで、ひどい指示になると、
<30Km先の砂丘に鉄の棒が1本立っているから、そこでカップ200へ>
そんな30Km先のピンポイントをコンパスだけで行けるの? って感じですが、不思議にも行けてしまうのですね。但し、それは昼間の話。夜になるとそんな鉄の棒なんか探せません。という訳で、ラリー中に夜を迎えた車は、ミスコースをして次々とリタイアしてしまうのです。
ミスコース、小さなミスであれば、それ程問題ではありません。「あら間違えた、バック」でいいのですが、怖いのは集団ミスコース。ラリーの一群があらぬ方向へ行ってしまい、ミスに気付くや皆が慌ててルートを探しはじめるので、コースは滅茶苦茶、ラリーカーはゴチャゴチャで、訳わからなくなってしまいます。
そして、この集団ミスコース、ダカールまであと2日という「ネマ」〜「ティジカジャ」間で起きたのです。
そこは、『悪魔の住むというネマの谷』 と聞かされていました。
「そんな、悪魔なんていう所に限って何にもないんだよね」
「そうそう、大袈裟なコケオドシって感じでね」
なんてタメ口を叩いていたのですが、そのネマの谷で集団ミスコースが発生。赤いパウダー状の砂丘の穴に落ち込んだラリーカーが、一群となって動けなくなってしまったのです。それを知らずに後ろからトロトロとたどり着いた長野号。夜のネマの谷を目の前にして絶句・・・ラリーカーのヘッドライトで砂丘がイルミネーションのようにライティングされているのです。
谷に向かう砂丘の登り坂に10台以上のラリーカーが、スタックしています。その坂の先は、大きな谷になっているようですが、その谷の中からもヘッドライトが交錯しあい、叫ぶようなエグゾーストが響いています。この坂、狭い場所ですから途中で動けなくなくなった車を避ける事ができずに、皆、止まってしまったのでしょう。こういう急な砂丘で止まってしまうと、タイヤは砂に埋もれるばかりで再発進できなくなります。
実はこのコース、壮大はミスコースだったのですね。皆がその方向に走ったものだから、続く車もそのままくっ付いていき、全員でスタック。そして、長野号もそれに気付かず、一緒に入ってしまいました。
でも私達、こうした動けない場所が意外と得意なのです。というのも、イザとなったらキャメルトロフィーで覚えたサンドラダーを使って、亀のように少しずつ砂丘を登ってしまいます。他のラリーカーはバックしたり、再度駆け上ったりしますが、スタックする場所は何をやっても、またスタックです。無駄なことを何度も試みるより、あきらめが肝心、少しずつ登ったほうが早く進めます。
そんな亀さん走法で登り上がった坂の上、谷の底を見て愕然。中には20台ほどのラリーカーがひしめき合い、皆、蟻地獄から脱出しようとしていたのです。
「ネマの悪魔さん、お願いです。ほんの隙間でいいんです、長野号を通して下さい」
二人は長野号の屋根に座り、遠い視線でタバコを吸いながら、またもやズルな作戦を考え始めたのでした。 (続く)
text by 北 | 2005.05.19 | [ 風が吹くと車が壊れる ] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
May 12, 2005
第12回:砂漠の脱出に成功したけれど・・・物語脱出に失敗
風が吹くと車が壊れる by 北
フウ・・・サハラ砂漠の脱出作戦、なかなか進展しません。まだ半分です。もっとサクサク書かなければ物語り、タイムアウトになりそうです。
テルミットでサハラ砂漠の脱出を試みてからゴウレまで、指示の無い砂漠地帯を282Km。コンパスと地図を頼りにやっとの思いで砂漠を迂回する幹線にたどり着いたのですが、ここから今日のゴール地点アガデスまで、まだ900Kmもあります。危険な砂漠地帯を脱出できたと喜んだのも束の間、今度は車の耐久レースと言うより延々と続く退屈な1本道での精神耐久レースです。モトイ、ズルの脱出なのでレースではなく耐久ドライブです。
アガデスに到着できれば、休息日が1日あるので、車を修理したり、寝だめ食いだめをして、パリダカの後半戦に参加する事ができるのですから、ここは頑張りどころ。にしても眠い・・・。
「長野号」、ドライバーは1日毎に交代することにしていたのですが、今回は緊急事態ですから、ここからアガデスまでの900Kmを200Kmづつ菊チャンと北で交代しながら運転することにしました。日本ならば東京から広島くらいの距離でしょうか。時速120Kmの巡航速度で走れば朝8時には着くはずです。その間、ナビゲーターは睡眠を取ります。
運転を交代するや菊チャン、すぐに爆睡状態。
ラリーカーでの寝姿は異様です。結構振動が大きい上にヘルメットをかぶっていますから、シートに頭を付けるよりも6点支持のシートベルトに体を預け、前倒して寝たほうが楽なのです。宙に浮いたように体を前に傾け、頭をがっくりと下に向けているので、何となく、殴られて気絶したような姿になりますし、さらに菊チャン、涎を垂らしています。
そういえば、昨日の昼食のランチボックスを食べて以来、水しか飲んでいません。菊チャン、きっと食事の夢を見てるのでしょう。
ハラペコの二人を乗せた派手な色のラリーカー「長野号」は、アガデスをめざして砂漠の中に作られたハイウェイを恥ずかしそうに、ヨロヨロと走り続けます。
それにしても、このドライブ、結構辛いものがあります。砂漠のラリーならば緊張感と景色の美しさに疲れを忘れて走ることができるのですが、夜中の幹線道路、何も見えないのですから、東名高速を走っているのと変わりありません。ただ、時折、砂嵐によって動かされた砂丘のはずれが舌のように道路に入り込んでいる場所があるので要注意。突っ込んでしまうと横転です。
結局、寝るのが大好きな二人、ドライバーをやりたいという意気込みも消えてしまい、自分の担当するドライブを早く終わらせ、如何に寝るかを考えてしまいます。ということで二人とも、睡魔と戦いながらピッタリ200Kmで車を止めて交代。1Kmもオマケを付けてあげません。
こうやって交代しながら幹線を走ること400Km、朦朧としているところに、またもやトラブル発生! 突然、菊チャンが叫びました。
「北さん起きろ!トラブルだ」
ダランと前のめりに寝ていた私の頭を菊ちゃんがボコッと叩きます。
「ウー、腹減った・・・エーッ、またトラブルかよー・・・モゴモゴ」
気がつくと車は止まっています。
「どうした?」
「車がガタガタ振動し始めた」
「そうか、いよいよ空中分解、始まったか」
とりあえず、車を降りて調べてみます。グルッと見て回ると、またもやタイヤのバースト。左後のタイヤがバラバラに砕け散っています。
「アッー・・・幹線に入って空気圧上げたっけ?」
「いいや、上げてない。 クソッ!」
またもや空気圧上げるのを忘れてしまい、1.2kg/c㎡のまま舗装道路で高速走行してしまったのです。気温がぐっと下がって4~5度になっていますので、空気圧も1.0kg/c㎡以下まで下がっていたはずです。
後輪のパンク、荷物が重すぎるのかもしれません。とにかく荷物室に積んであるスペアタイア2本を取り出して後輪タイヤを交換します。さらに前輪タイヤの空気圧を上げますが、そのタイヤもダメージをうけているはず。今度パンクしたらタイヤ屋さんありませんからリタイアです。
「パンクでリタイアだなんて格好悪いよー」
「それもズルやってる最中に、って加えられたら恥の上塗りだよな」
こうしてハラペコで眠い、長くてズルい夜が過ぎていきました。
そして夜明け。砂漠の地平から太陽が昇ってから数時間後、フラフラになっていた私達はいつの間にかアガデスの町に到着してしまったのです。今までのオアシスとは違い、大きな町です。
「アレッ、アガデスに着いちゃった」
「良かったじゃない・・・エッ! ゴールは?」
「・・・やばー、俺たちゴールしないで町に入ったぞ。このまま走るとゴールに後ろから到着してしまう」
急ブレーキです。回りから子供達が走ってきて集まり始めています。囲まれてしまったら動きが取れなくなりますし、ズルがばれてしまいそう。急いでUターンです。
「アーア、今度はアガデスの町から脱出かよー。何てラリーだ」
「・・・」
もと来た道を後ろ向きに走って町の姿が霞んだ頃、大きく迂回して砂漠に戻ります。そして目的のゴールへ。
「いかにもサハラ砂漠で奮闘してきたような感じでゴールだ」
「そう、きつそうな格好してな・・・ちょっと待て、車を止めろよ」
そして、私、車を降りるや一握りの砂を握り締め、ヘルメットからザザー。そして菊チャンのヘルメットにも振り掛けます。
「フフフッ・・・これでカモフラージュ、完璧」
こうなると、何だかズルというより知能犯って感じです。他の選手達、特にリタイアしたチームの皆さん、ごめんなさい。
ゴール!
主催者達がニコニコと笑って話し掛けてきます。
「よくこんな時間にたどり着いたな・・・サハラ砂漠どうだった」
「アア、とても良かった・・・みたい」
「まだゴールしてないラリーカーが結構いて、砂漠で緊急無線が乱れ飛んでるそうだ。まあ、今日は休みだ。ゆっくりしろ」
「アア、有難う・・・って言っていいのかな」
私達、ニッコリと笑って返事したつもりですが、きっと笑い顔、引きつっていたに違いありません。でも、ゴールしてしまえばコッチのもの。突然、二人は顔を見合わせながらガハハハと大笑いしてしまいました。ところが審査員達、私達の大笑いにつられて意味もわからず一緒にガハハハと笑ってしまったのでした。
ニヤニヤしながら、まずは空港に設置してある救急医療テントに直行です。昨夜、切ってしまった私の額と菊ちゃんの唇を見てもらいます。髭のドクターがガムテームをベリッと剥がしました。
「痛っ!」
怪我をした時は何ともないのに、なぜ治療になると痛いのでしょう。
「ホー・・・傷口、上手にくっ付いてるな。縫う事はあるまい」
ってんで、消毒してガーゼをあてて、今度は医療用のテープをベタッ!
――何だ、内容はガムテープと一緒じゃないか。
ちょっと期待はずれで、がっかりです。
実は私達、パリダカを究極のパックツアーだと言って、他の選手達のヒンシュクをかっていました。だって、あご足(ご飯と車)付きですし、病院は設置してあるし、緊急時にはパリまでジェットで運んでくれます。特に食事は、どんなに遅くなってもゴールにたどり着ければ、きちんとしたフランス料理が待っているのですから、やっぱり究極のパックツアーですよね。
アガデスのキャンプ地に入ると、いました!「長野Ⅱ号」と岡ちゃん達。今回、長野からは2台のレースカーと1台のプレスカーが参加しています。でも、「長野Ⅱ号」、アフリカに入って2日目、リビアの砂漠でタイムアウトのリタイアをしてしまたのです。それ以来、ずっと私達の「長野Ⅰ号」をサポートしてくれています。ヨレヨレの「長野Ⅰ号」、このサポートがなければとっくの昔にリタイアです。
今回も、ユラユラ揺れるフロントアクスルをすべて自分達のものと交換してくれるというのです。健康な「長野Ⅱ号」からの臓器移植。手術をするドクターは、長野プレスカーで参加したサカさん。みごとなスパナ捌きでアレヨと言う間に「長野Ⅰ号」を新車・・・とまではいきませんが、戦闘可能な車に仕立て上げてくれました。(写真は長野プレスカー、後ろの木はバオバブです)
爆発寸前のタイヤも交換してくれ、抜け落ちたボルトも付けてもらって、長野から参加した6人はワイワイガヤガヤ、パリダカの休日を楽しんだのでありました。
そして不気味にも、次年度のCASIOチーム・マネージャー、そんなバンカラでちょっと遊び気分の入った長野チームを遠くからチラチラと眺めながら、私達を調べていたのです。
やれやれ、この物語、砂漠に入り込んでからというもの、なかなか進みません。今回でタイムアウトかなと思っていたら、このまま走り続けることになりました。
「オイオイ北さん、まだ続けるのかよ」
「しかたあるまい。ゴールするまで、もうしばらく付き合えよ。菊チャン」
ということで、アガデスで一休みした珍道中、さらに次回へと続きます。 (続く)
text by 北 | 2005.05.12 | [ 風が吹くと車が壊れる ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
May 09, 2005
第11回:成功しそうな脱出作戦
風が吹くと車が壊れる by 北
前回の続き、サハラ砂漠脱出の物語をお送りします。
意思決定の時です。
私達を送り出してくれた長野の皆さんのことを思うと、ここで、「降参です。リタイアします」と、両手を挙げてカミオンバレーに助けてもらうことはできません。かといって、このままサハラ砂漠の中央に向かってラリーを続行しても結果は同じ。長野号の壊れ方からすれば、遅かれ早かれカミオンバレーに救助されることになるでしょう。
リタイアを防ぐには、遭難という危険なリスクを負うことになりますが、ズルな方法、ミスコースをしてサハラ砂漠を迂回するしかなさそうです。
世の中、そんなものですよね。ハイリターンを望むのなら、そのリスクも大きくなるってことです。でも今回は遭難して砂漠の中で干からびてしまうかも・・・と、少々リスクが大きすぎるようです。
菊ちゃんと話します。といっても気持は決まっていますから、話す内容はありません。掛け声だけです。
「それじゃ・・・」
「・・・そうだな」
こういう会話って一見ダンディーに聞こえますが、内心ビクビクしていて言葉が出てこないというのが本音です。
でも、カミオンバレーには、レースを続行し南へミスコースする事を伝えておいたほうが良さそうです。もし遭難しても探す方向が分りますから。
主催スタッフのサラミおじさんに話します。
「やっぱりレースを続行するよ。但し、南にミスコースしそうだから、そのこと覚えておいて欲しい」
「そうか分った。そのことは記録しておこう。・・・それと、緊急用の水は持ってるな」
「4リッター持ってる」
「よし・・・。それじゃ幹線に出るまでは、くれぐれも軍警備隊のワダチを見失うんじゃないぞ。それと幹線に出たらそのルートから外れるな。幹線に乗っていればいつかは助けられる。それと、もし動けなくなったら電波が届かないと思っても緊急無線発信機の緑ボタンを押せ。できうる限り南を探して・・・まあいい、後は風次第だ」
サハラ砂漠にはハルマッタンという名の風が東から西へ吹いています。ハルマッタンに削られた岩が砂となって西へ運ばれるので、東国リビアの砂は黄色い粗目砂糖のようですが、サハラ砂漠の中央テネレでは黄土色のグラニュー糖、そして西国モリタニアの砂は赤いパウダーになります。そのハルマッタン、強く吹くと警備隊のワダチを消してしまいますし、砂嵐になってしまうとラリーカーが走行不能に陥ってしまいます。
テルミットから幹線合流の地ゴウレまでは砂漠地帯で、距離282Km。途中に、タケアとオウレラムの集落を通過するのですが、きっと小さなオアシスでしょうから、果たしてその地を確認できるのか不安です。目の前を通り過ぎても分らない可能性があります。そして、ゴウレからアガデスまでは、900Kmの幹線道路です。燃料は、ギリギリですから、幹線に入ったら9Km/リッター程度の省エネ走行をしなくてはいけません。
(この作戦に使った地図をそのまま載せました。書かれた文字もその時のもの。分かれ道にあった唯一のサインを記録していました。そこまでの走行距離は、テルミットから125.7Kmです)
夜7時、進路をラリールートの北西からゴウレの南西へと変更し、サハラ砂漠脱出の開始です。比較的平坦な砂漠を時速80キロ程度で走ります。徹夜のドライブで睡眠時間が極端に少なくなっているのですが、今までとは違い、失敗すると遭難して帰ってこれなくなってしまうのですから、やや重たい頭の後ろに一本の弦がピーンと張られたような緊張感があります。そして、ヘッドライトに浮かび上がる微かな警備隊のワダチをジッと見つめながら、ひたすら南西に向けて走り続けたのでした。
砂漠の夜間走行では、走るにつれて目の錯覚が生じます。本当は地平線まで広いはずなのに、夜間は見えているのがヘッドライト部分のみになってしまい、闇が左右から迫ってきます。まるで日本の渓流のように左右を大きな崖で挟まれた感じです。
波のように細かくうねる砂丘をヘッドライトが白く照らし、地図を確認するための手元ライトを点灯する時以外は、ナビコン(ナビゲーションコンピューター)の数字インジケーターランプが室内を赤く染めています。フィクションのように麻痺しそうな意識に、時折、硬いショックがガクン車体をゆらし、これが現実の出来事であることを思い起こさせるのです。
テルミットから100Kmほど走ってタケアを通過しました。その後西へ向かっていた進路を大きく南に変更する頃。
「ヤバイ! ワダチが消えてしまったぞ」
「いかん! とりあえず計器走行をやろう」
ワダチが消えてしまいそうです、地図とコンパスとナビコンを細かく見ながら進行方向を決めていきます。パリダカ中、最高の緊張感に包まれた時でした。失敗はできません。神経が張り詰め、心臓の音も聞こえてきそうです。
「オウレラムまで30Km、カップ(方位)210、5Km先でカップ200、10Km先でカップ190」
「OK!」
「長野号」はコンパスを3個積んでいます。メインはヨット用の中型のコンパスで、運転席と助手席の間のコンソールボックスに埋め込みました。もう一つはバックミラーの下に航空用のコンパス。そしてナビゲーターの首にはハンドコンパスが掛けられています。
普段はメインのコンパスを使用していますが、電気が流れる鉄の塊のなかですからコンパスを補正しても、誤差が少々残ってしまいます。ですから、いざとなれば車外に出てハンドコンパスで測定しようという訳です。
赤く光るメインコンパスを確認しながら、少しずつ進路を変更していたその時でした。何もないはずの砂漠に匂いがしたのです。人の匂い。でも何だか曖昧です。
「菊!・・・何か匂いがする」
「エッ、匂い」
「そう、何だか分らない。匂わないか」
「・・・」
そして、さらに南へ進路を変更しながら進むこと数キロ、次第に匂いが明確になってきました。
「北! 俺も匂うぞ・・・何の匂いだ?」
「何だろう・・・アッ! これ、煙の匂いじゃないか」
「そう、焚き火の匂いだ!」
まだオウレラムのオアシスまで20Km以上あるのですが、そんな遠くから煙の匂いがするのです。探検時代の海洋小説に載っていました。海洋を渡り、陸地に近づくと陸が見えなくとも大地の匂いがすると。緊張感の高まりで五感が敏感になったのでしょうか。でもまさか、そんなことを経験するとは信じられない思いでした。
次第に煙の匂いが強くなります。確かにオアシスへ向かっているようです。オウレラムまで来れば、脱出ルートの砂漠地帯を2/3走破したことになり、さらにオウレラムからは、丘陵地の脇を走るので少し安全な状況になるのです。
夜10時30分、オウレラムの集落は、日乾しレンガの家が点在する小さなオアシスでした。光は何処にもなく、扉は完全に閉められてハルマッタンを防いでいるようです。そして焚き火の残り香が、そこに人々が暮らしている証として漂っていました。その小さなオアシスの安息の時を切り裂くように、「長野号」は煌々とライトを照らし、低いディーゼル音を唸らせながら侵入者となって、ゆっくりと集落を通過したのでした。もし車が動かなくなったら、このオアシスまで徒歩で戻ってくるしか方法はありません。
再度、軍警備隊のワダチが見え初め、トレールもしっかりと分るようになってきました。ゴウレまで80Km、もう1時間少しで幹線に出会うはずです。
「危ない部分はもう少しだな」
「そう。でも、その幹線ってどんな道だろう」
「舗装? それともこんなトレールかな?・・・まあ、アガデスは明後日の朝までに着けばいいから、確実にやろうや」
「そこまで、車が持ってくれればいいのだが・・・」
やや気分も落ち着き、無駄話が増えてきました。5対5だと思っていた脱出の確率が7対3に大きくなったかなと感じていた、その時です。・・・フッとヘッドライトが地面から消えたのです。
ガッツ-ン!
もの凄い衝撃を全身にうけ、頭が大きく前方に叩きつけられました。一瞬、何が起こったのか分りません。
「ウーン」
「ムムー、大丈夫か!」
「アア・・・何とか」
車が砂の穴に落ち込んでいます。ライトが消えたと思ったのは、宙を飛んで空を照らしたからです。額がやけにヌメッとするので手をやると血です。菊チャンもしきりに口元をなでています。そして、室内灯を付け、お互いの顔を見つめ合ってビックリ。血だらけなのです。
私は額を割ってしまい、菊チャンは唇からあごにかけて血が滴っています。
「ウワー、大変だ!」
「オオー、死ぬー!」
夢であって欲しいという後悔の念と、どうしようという恐怖心が胆汁のように渋く胸から湧き上がり、心臓の鼓動がバクバクと首筋に伝わっています。
「ち、ち、血を止めよう!」
「緊急発信機は何処だ!」
パニックで慌てているので自分達の状況を忘れています。とにかく、お互いの血を止めることが先決です。とりあえずのタオルを当て、救急箱を取り出してガーゼで押さえるのですが、なかなか血は止まりません。そして、当初のパニックが収まった数分後、やっと判断力が戻ってきました。
「傷口、縫わなきゃダメかもな」
「それじゃ、とりあえず傷口をガムテープで密閉しよう」
以前覚えたガムテープ治療法です。まず、バンドエイド3本で傷口を密着するように引っ張りながら仮止めします。そして布製ガムテープをその上にペタン!
後は、緊急発信機の赤いスイッチを入れるかどうかの判断です。届かないかもしれないと思いつつもそのタイミングを考えます。緊急信号は発信した時点でリタイア。せっかくズルをしてリタイアを免れようとしたのに、ということで、5分ほど何もせず、冷静に判断できるようになるのを待つことにしました。
「敗因はシートベルトだな」
「ああ、やっぱりちゃんとつけておくべきだった」
実は、時々スタックがあるので時間を競うスペシャルステージ以外は、肩越しのシートベルトをサボっていたのです。そして、私はヘルメットの下をすり抜けるようにナビコンのハンドレバーへ直撃し、菊チャンはハンドルに強烈なキスをして唇を切ってしまったのでした。
さらに、もう一つ思い出しました。緊急無線発信機の赤いボタンは、ヘリコプターを呼ぶ事ができるのですが、それも昼間だけで、夜は飛ばないことになっていたのです。
気持と傷が落ち着いた5分後、意志決定の時です。不思議です。アドレナリンが異常に分泌したのでしょうか、以前にも増して気力が再注入されています。もちろん、アガデスへの脱出を続行することにしました。
夜中の0時30分、緊張の連続だった脱出ルートに何の前触れもなく、幹線が突然目の前に現れました。2車線の舗装道路です。
「フウ・・・ヤッターな」(笑)
「ハハハッ・・・ドジの粘り勝ちだ」(笑)
こうして長野号、間抜けでデタラメなズルでもってリタイアの危機を半分ほど乗り越えたのでした。 (続く)
text by 北 | 2005.05.09 | [ 風が吹くと車が壊れる ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
April 28, 2005
第10回:史上最大の脱出作戦
風が吹くと車が壊れる by 北
大げさなタイトルを付けてしまいました。最大、最高、タダなんて言うと何だかマユツバの危ない話に聞こえてしまいます。でも今回は、パリダカの中でも大変で奇抜だったシーンなので、結構面白いのでは・・・。ゴールまでお付合いの程をよろしく。
第12回パリダカール・ラリーは、総距離1万2千キロ(東京・パリ間の直線距離)のレースでした。仏国パリを出発し、マルセイユからフェリーで地中海を渡ってカダフィ大佐のいるリビア・トリポリに上陸。そこから地図のようにチャドへ向かって南下し、ヌジャメナから北アフリカの砂漠地帯を西に向かって走っていくのです。パリからダカールまで23日間のレースです。
ルールは簡単。速い者勝ちです。(説明、簡単すぎかな?) もうちょっと説明すると、大きなスタートとゴールはパリとダカールですが、ドライバー、寝たり食事をしたり女の子に声を掛けたりしなければいけませんから、毎日のスタート地点とゴール地点が決められています。そして、その日々の走行所要時間を累積して全体の順位を決めるというわけです。毎日のゴールは、翌朝のスタート時間まで目的地に到着できればレースを継続できますが、間に合わなければそこでリタイアになってしまいます。
1日の走行距離は500Kmから800Km程度。燃費5Km/1リットルとすると最大200リットル程度の燃料を持って走る荷物運搬レースという感じです。
この初めてのパリダカ、以前にもお話しましたが長野の市民が送り出してくれたものです。一緒に走った相棒は、昔からの友人「菊チャン」。彼とは若い頃から山へキャンプに行ったり釣りをしていたのですが、私がキャメルトロフィーに出場すると。
「エッ、北さんが選ばれたの・・・そんなバカな。だったら俺だって選ばれなくっちゃ」
という訳で、彼、第10回キャメルトロフィー(ジ・アマゾン)の日本代表になってしまったのです。いやはや、遊びには目のない二人です。
ところがその後、この二人、雑誌に載った「長野市民がパリダカ・ドライバーを募集しています」という小さな記事を見つけて応募したのですが、二人の悪運が倍化されたのか、またもやパリダカ出場ということになってしまいました。本人も家族も大慌てです。
「あなた達! 夜中にPCの前で何やらコソコソやってたと思ったら、そんなことに応募してたの、まったくゥ!」
と家内に怒られはしたものの、
「これはスポーツ。モータースポーツなんだから、君のテニスと一緒だよ。お金もかからないし」
てなもんで、家内を論破してのパリダカ出場となったのでありました。
ところが初めてのパリダカ、誰も何も教えてくれません(競争相手ですから)。リビアのトリポリを出発するや、途端に車へダメージを与えてしまい、まだレースが初まって間もないうちから修理や徹夜走行の連続です。サハラ砂漠の真ん中に入る前のヌジャメナで、もうリタイア寸前のボロボロ状態。周囲からは、もう明日はサヨナラだ、と言われる始末です。
そして何とかたどり着いた13日目のエヌグイグミ。でも、実はここからがパリダカの最も面白い山場だったのですね。14日目、エヌグイグミ(チャド)~アガデス(ニジェール)間は、サハラ砂漠のど真ん中を横断です。走行距離780Kmのすべてがスピードを競うスペシャルステージになっています。さらにはアガデスで1日の休息が取れますから、そのステージのゴールは明朝ではなく、明後日の朝までアガデスにたどり着けば良いという、とても過酷な条件に設定されたステージでした。
プジョーや三菱が早朝一番でエヌグイグミをスタートしてから2時間ほど、北と菊は寝不足で屈辱感を感じる余裕もなく、ボーとした目つきで沢山のレースカーを見送りました。そして、スタート地点にポツリポツリと車が閑散になった頃、重いエンジン音とステアリングが壊れてヨタヨタ揺れる我がレースカー「長野号」背番号391が出発です。
私達、変則的なドライバーとナビゲーターのシステムを取っていました。実は二人ともドライバーをやりたいものだから、毎日ドライバーとナビゲーターが交代していたのです。
その日、順番は菊チャンがドラーバーで、私はナビゲーターの番でした。
ヨロヨロのステアリングに寝不足、そこで無理にスピードを上げるものですから、結構危ない状況が出現します。突然、空中に車が飛んでしまったり、岩にゴッツンとぶつかったりして大変です。そして、その度に怒号がコックピットの中を駆け巡ります。
「バカもん! 何やってんだ、ヘタクソ!」 ボコッ!
力いっぱい頭を殴ります。
「しょうがないだろ、車がボロボロになったんだから!昨日パンクさせたのはだれだよー!」 ボコン!
「俺だよ」 ボコッ!
とういう感じで、とても奇妙な光景です。もちろん、ボコッと頭を叩いても二人はヘルメットをかぶっているので何ともありません。そして最後には二人で大笑い。
実は二人とも、キャメルトロフィーを経験して知っていたのです。過酷な状況で、かつ車やテントの狭い空間に24時間、10日以上も一緒にいるとストレスが溜まってしまい、どんな友人でも旨くいかなくなるってことを。ですからストレスは、できるだけ我慢しないで、その場で吐き出してしまおう、ってレースが始まる前に相談していたのですね。でないと写真みたいなことが起きてしまいます。この二人、キャメルトロフィー・○○○国の代表です(最初はとても仲が良かったのですがね)。
出発して10時間、トップのプジョーや三菱はもうゴールに着いたでしょうか。でも長野号はまだ半分しか走っていません。砂に足を取られ、岩に擦られ、ますます車はダメになっています。そして日も暮れるころ、たどり着いたのがテルミット。その日のちょうど中間地点です。
突然、目の真にアスファルト道路が出現しました。
「何だ何だ? こんな砂漠になんで道があるんだよ」
「おかしいなー、アレッ、向こうに車が止まってるぜ」
行ってみると、舗装道路の終りにトラックと数台のバイクがいて、軍隊のジープも駐車しています。
「ヤー、ナガノヤポン・・・滑走路で何してたの」
やや小太りの主催スタッフのような、おじさんがニヤニヤ笑いながらフランス語で聞いてきました。
「ハー・・・これ、滑走路だったんだ」
フランス語、できないので英語で話します。
「イヤーもう車がボロボロで、この後のサハラ砂漠、越えられるか心配で・・・」
「だろうなー、さっきから見てたが、かなりのダメージだ。ここから先がサハラ砂漠の真ん中だから、ちょっと無理かもな」
なんてことを言いながら、自分が口にしていたサラミを切り取って、私達に食べろと勧めます。かなり悠長な雰囲気です。周りにいるバイクの選手を見ても、骨折していたり、バイクを壊していたりして、何となくレースが終わった終末的な感じがします。
「何か変だなー」
と、菊ちゃんと話していると、そのトラックから無線機の音が鳴り出しました。エッと、その運転席を見上げると、なんとそこに箒が逆さまに突き刺さっているのです。
「ゲッ!・・・ヤバイよ。このトラック、カミオン・バレーだ」
カミオン・バレーというのは、パリダカ・ラリーの一番最後を担当している主催者のトラックで、リタイアして取り残された選手達を拾っていくのが仕事です。いわゆる、パリダカの掃除人・・・という訳でトラックの上に箒をシンボルマークとして逆さに突き刺しています。ラリー中、出くわしてはいけないと言われている唯一の車、それがカミオン・バレーなのです。
サラミのおじさんが続きを話し始めました。
「ナガノヤポン・・・どうする? ここでリタイアを宣言すれば、このカミオンに乗っけて助けてやるぞ。車は無理だから捨てなきゃならんがな。それともリタイア宣言して、自力で近くの町まで脱出するかね。といっても、もう砂漠の中だから、近くと言ってもかなり遠いがね・・・」
菊ちゃんと目が合います。どうしよう・・・。
無理してサハラ砂漠の中心へ向かっても、この車だとすぐに動けなくなってしまうのは目に見えています。でも長野の皆のことを思うと、簡単にリタイアすることもできません。いや、それとも逆に割り切って後はのんびり観光旅行に・・・なんて思ってしまったり。
「クソッ、しょうがない、このままサハラの砂になるか!」
「ンだな、どうせリタイアするなら行ける所まで行くしか・・・」って言った瞬間、フッとアイデアが生まれたのです。
パリダカのルールでは、もしミスコースしても元のルートに復帰できれば違反の対象にならない、とあります。それだけミスコースは、日常的に起きるのです。さらに、そのルール、ミスコースの距離については何も言ってません。ということは、ここでミスコースして、このステージのゴール・アガデスの近くでルートに復帰しても良いってことなのです。
そして、距離は倍になりますが、サハラ砂漠の南に一本の幹線があって、サハラ砂漠をグルッと回るようにアガデスへと続いています。リタイアせずに無事アガデスに付くにはこの方法しかありません。でも、まったく指示のない砂漠をコンパスと地図だけで無事に幹線までたどり着けるのでしょうか。
判断を付きかねて、このアイデアをそれとなくサラミのおじさんに、ほのめかしてみる事にしました。
「なるほど、ミスコースね・・・ルール違反ではないな。ただスポーツマンシップに欠けるだけのことだ」 とニンマリ笑っています。
「それと、一つ重要な問題が生じる。緊急無線発信機の受信範囲から外れてしまうので、車が動かなくなったら遭難だ。下手をすると・・・捜索救助でも探しきれないかもしれない」
「エーツ、遭難。死ぬ? そんなこと・・・ヤダ」
レースカーには、3つのボタンが付いた緊急無線発信機を積んでいます。赤いボタンは怪我人がいるので至急ヘリで救助を頼む。青は、ルート上で動けなくなったのでカミオン・バレーに来て欲しい。緑は、ルートから外れて自分の場所が不明なので捜索して欲しい、というものです。そして、もし意図的にミスコースをしてアガデスを目指すならば、その緊急無線信機が使える範囲を超えてしまうのです。そんな場所で、もし車が動かなくなってしまったら・・・最悪の状況になります。
そしてサラミのおじさん、もう一つ重要なことを言ってくれました。
「軍の警備隊がパリダカの安全確保でここに来ているけれど、彼らが着たのは南のゴウレの町からだ。君たちのミスコースの方向だよ。うまくすれば警備隊のワダチをたどってゴウレに行けるかもしれない。ただ、風が吹くと・・・」
「風が吹くと・・・?」
「ワダチが消えて・・・終わりだ」
「・・・」
砂丘の上、濃紺の空に星が輝き始めています。そして、星の彼方から小さな声が聞こえてきました。
―― やめて、あなた (続く)
text by 北 | 2005.04.28 | [ 風が吹くと車が壊れる ] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
April 21, 2005
第9回:転がる、車と三角板
風が吹くと車が壊れる by 北
4月も半ば、そろそろ滑った、転んだ、落ちたという話題を出しても大丈夫かな? 3月は禁句ですが、4月になっても前半はちょっと気が引けますよね。受験の皆様ご苦労様でした。という訳で、今回は滑ったり転んだりのズッコケ話です。
キャメルトロフィーやパリダカでは、車がコロコロと転がります。レースとは言え、転がる本人は至って大変なでしょうが、見ている分には、とても楽しい光景です。
その中でも一番派手だったのが、レースの高速走行中に発生した横転事故。キャメルトロフィー‘86は、オーストラリア東岸のクックタウンを出発してゴールのダーウィンまで大陸を西へ向かって走るのですが、レースも後半、疲れが貯まったところに午後の西日で目が眩んだのか、私達の前を走っていた車が道際の土手に乗り上げて2転3転と転がってしまいました。
「ウワー、転んだぞ・・・追突だー」
タイヤが滑ってザザー、ドシン! 後続車も皆、急ブレーキです。
転んだ車はプレスカー。上下逆さまで、フロントガラスは完全に割れています。ランドローバーのボディーはアルミ製なので簡単に潰れてしまいそうなのですが、室内にロールバーが付いていて、なんとか屋根がハンドルまで潰れてしまうのを防いでいます。
「オイオイ、ドライバー大丈夫かい?スペインのミゲーレだろう」
彼はラテン系のヒョウキンな奴で、派手なパフォーマンスが大好きです。でも今回は命がけのパフォーマンス、生きてるだろうか・・・等と皆が心配していると、ミゲーレ、逆さになった窓からノロノロと這い出てきました。頭を打ったようです。いつもなら、ここで冗談を出すのですが、さすがにそれは無理。やや照れくさそうに笑うのが精一杯のようでした。
まあ、ここまでは時々お目にかかる風景なのですが、キャメルトロフィーの面白いところは、こうして逆さになった車を自分達で(JAF呼べませんから)復活させなければなりません。
こういう時、やたらとリーダーシップを取ろうとする人がいるものですが、キャメルトロフィーの選手達、意外に紳士というか、回りが見えてるというか、自然と自分のポジションを取っていくのです。ドイツと日本のチームが2台車を並べてウインチをコケタ車に掛けます。そしてイギリスのチームが手を回してウインチの引き込み具合を指示すると、その潰れたランドローバーが1/4回転、そしてさらに1/4回転して、ドワンという感じで元に戻ってしまいました。(皆が拍手)
後はエンジンが掛かるかどうか。イグニッションを回すと、ややあって、白い煙をもうもうとたてながらエンジンが動き始めました。白い煙はシリンダーに流れこんだオイルが燃えたせいで、少しアイドリングをしていると、まったく以前の状態に元通りです。
さすがにディーゼルエンジン、耐久性と安全性には凄いものがあります。ガソリンエンジンだと下手すれば火災ですし、こんなに簡単に元に戻るかどうか。まあ、こうして私、ディーゼルエンジン・ファンになってしまったという訳です。
映画に出てきそうなカーチェイスでの横転や、ボディーのぶっつけ合い。キャメルトロフィーやパリダカで少々経験したせいか、内心そんなものチョロイなどと思っていたのですが、それは間違いでした。その後、首都高速で巻き込まれた事故、一挙にその傲慢な自信が吹き飛んでしまいました。
「ごめんなさい、やっぱり私は素人です」 って感じです。
それは、晩秋も小雨の降る夕暮れ、子供たちの待つ千葉へ向かって、家内と一緒に3車線の京葉道路の左をトロトロと走っていた時のことでした。濡れた路面にヘッドライトがキラキラと反射しています。そして、江戸川を渡った後のやや下りの入った大きな右カーブ、家内とバカ話をしていると、突然 ガーンとハンマーで殴られたようなショックです。
「キャー」
「何だ何だ!?」
目の前の景色がぐるりと動いて、一瞬呆然ととなったその時、またもやガッツーン・・・。今度はわかりました。トラックがビッグホーンの側面にぶつかったのです。とにかく急停止。・・・ところが止まってビックリです。車が進行方向と逆さに止まっていて、その先から煌々とヘッドライトがこちらに向かって突っ込んでくるではありませんか。
「!!!」 家内は恐怖で何も言えません。
「やばい!大型トラックが突っ込んでくる!」
こうなれば、ヤケクソです。とにかく逃げなければと、ギアをバックに入れて後ろ向きに高速を走りだし、一気に路肩へ後ろから突入です。その直後、路肩に避難したビッグホーンの横を大型トラックが「バーォーン」と強烈な音をたてて通り過ぎていきました。
危機一髪。家内が泣き出しそうな顔をしています。
「大丈夫か」
「・・・エエ」 まれにしか聞けない神妙な返事です。
回りを見渡すと、追い越し車線にスポーツタイプのクーペがフロントから蒸気を出しながら止まっています。そして後ろ(高速の進行方向)の先にはトラックが路肩に避難しているので、3台の事故のようです。
だんだん状況が分ってきました。スポーツクーペがビッグホーンに突っ込んで、動かされたビッグホーンにトラックが接触したのです。とりあえず、路肩にいるとはいえ2次的事故に巻き込まれるのゴメンですから、まず家内をガードレールの外に脱出させます。そして、前から(ビッグホーンは逆さに止まっているので)来る車に事故を知らせなくてはいけません。
ところが以外にも、後続車、かなり前方から減速し、用心しながら近づいてくるのです。
なるほど・・・ビッグホーンのエンジンとライトは付けっぱなしになっていますから、ちょうど前照灯が灯台の役目を果たしているようです。高速道路で逆さまにライトを照らされれば、逆行している車かと思ってしまいますよね。これは偶然とはいえ、うまい手です。ライトを消さずに付けたままにしておく事にしました。
トラックの運転手がやってきました。
「コラー、お前、何やってんだ。バカやろー」
「エッ・・・ちょっと、ちょっと勘違いしないで下さいよ。滑ってぶち当たってきたのは、あのスポーツクーペで、私は被害者なんですよー」
「ンッ?・・・あの車か・・・ところで、そのバカもんは何処だ? まだ中にいるんじゃないだろうな」
さすがにトラックドライバー、急に大きな味方を手に入れた気分です。
トラック兄ちゃん、今度は大きな声で、
「コラーー! そこのバカ野郎! 早く降りてこねーか、死にてーのか!」
凄い迫力です。その言葉に発奮して私も一緒に、
「コラー! 早くおりて来なさい、そこにいると危ないですよ。バカ野郎さん!」
ウーン、どうも迫力が足りませんね。なんてことを言ってると、降りてきましたバカ者・・・失礼、若者が。
「オラオラ、ぐずぐずしねーで三角板、出すんだよ。早くやれ、ボケナス」
凄い。かっこいいですねー、トラックドライバー。なんて感心していたら、若者、トランクから三角板を出したのはいいのですが、なかなか立てられません。三角板をそのまま道路に立てようとしますが、足を十文字に開いてないので、すぐにパッタンと倒れてしまいます。
「何やってんだ、ボケ。足を開くんだよー」
私も一緒になって。
「急げー。足を開きなさい。足!足!」
良かった、やっと気がついたようです。ところが若者、何を勘違いしたのか・・・四股をふむように自分の足をしっかりと広げ、三角板をそのまま立ててしまい、またもやパッタン!
「・・・アホ」
「・・・ホケ」
その後
警察と道路公団の緊急車輌が派手にたどり着いてからの話です。
若者のスポーツクーペが履いていたタイヤ、てっきりレーシング用のスリックタイヤだと思っていたのですが、実際は普通タイヤの溝のまったくなくなったタイヤだったそうです。ハイドロプレーン現象を起こすために走っているようなものですね。
それと、私の偶然に逆さまに止まって、ライトを付けたままのビッグホーン、警察に褒められてしまいました。偶然とはいえ、ライトを付けっぱなしは良い処置だったと。いつも叱られてばかりの警察に褒められると、何だか申し訳ないみたいで恐縮してしまいます。
結局、ビッグホーンは、ボコボコのボロ車になってしまい、翌朝、車を見た子供たちも唖然。
「スッゴーイ、僕も乗ってたかったなー」
「とんでもないわ、あんな経験は二度とイヤよ。でも、もう大丈夫、今からは私に任しておいて。保険会社にしっかり交渉してあげますからね、フフフッ」
と論争が趣味の家内、不敵な微笑を浮かべたのでありました。
そして、その結果は・・・もちろん保険会社の完敗でした。
text by 北 | 2005.04.21 | [ 風が吹くと車が壊れる ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
April 14, 2005
第8回:機関車になった自動車
風が吹くと車が壊れる by 北
7~8年前のお話です。
千葉の冬は関東特有の穏やかな晴天が続きます。正月気分も超えた1月の小春日和、買い物を追えた我が家の一面は、のんびりとショッピングセンターからの帰路についていました。
何も起きそうにない、ごく普通の週末です。ところがビッグホーンの助手席に座っていた息子が奇妙なことを言い始めました。
「シュッシュッ、ポッポッ、シュッシュッ、ポッポッ、ワー、この車、汽車になっちゃった。トーマスみたい」
「汽車?・・・どこが汽車なのよー」 と口だけドライバーの家内が不思議そうに聴き返します。
「ほら、シュッシュッ、ポッポッ、っていってるじゃない」
聞き耳を立てていた娘も、
「本当だ、汽車みたいにシュッシュッ、ポッポッ、って鳴ってるよー」
「・・・」 私には聞こえません。
「ヨー君、窓を開けてみてごらん」
「ウン」 ビ――ン
シュッシュッ、ポッポッ、シュッシュッ、ポッポッ、本当に鳴っています。まるで機関車と同じ音です。
「エー、何これ」
家内もビックリ。その場で急停車です。
「・・・」 アレッ、音が止まりました。
ボンネットを開けてみますが問題はなさそうです。初めて聞く不思議な音。「風が吹くと・・・」は何の役にもたちません。ただ、唖然とするばかり。
しかたなく、家内が車の外に出て、その前をゆっくり走ってみることにしました。
シュッ・・・シュッ・・・ポッ・・・ポッ・・・ ゆっくりと鳴ってます。
「分ったわ。左前輪のタイヤからの音よ、空気が漏れてるみたい!」
次第にスピードを落として、シュッのところで車を止めます。シュッ―――
タイヤの空気漏れの音です。 ゲッ!
(写真のタイヤはフランス製です)
まさかと思いつつタイヤを見ると、地面に面して扁平になった部分に亀裂があり、そこからシュー、っと空気が漏れているではありませんか。もう少し前へ進むと、今度は違う亀裂から。再度進むと、また、また・・・。そして右のタイヤからも同じような空気漏れの音。
停止してタイヤをチェックすると、いたる所に目に見えないような亀裂が無数にあり、扁平になった場所の亀裂が、口をひん曲げたようにパクッと開いて空気が漏れているのです。
「欠陥商品よ! 消費者センターに電話しなくちゃ」
と口論が趣味の家内、戦闘態勢に入ってしまいました。このタイヤ、米国製のやや硬めのオフロード用です。
そのまま、機関車と化した愛車をなだめながら、そのタイヤを付けてくれたショップに直行です。
「アレー、こんなの初めてですよ。これ、ゴムの劣化ですね。お客さん、結構、山とか海を走ったんでしょう」 とショップの方。
「そりゃー、RVですからァ、そういう所も走りますよね。でも海の上は・・・」
なんて訳のわからない会話の末、とりあえずそのままでは危ないということで、新品に交換です。もちろん、今回は米国のメーカーはやめ、国産の少し軟らかめのタイヤに取り替えました。
ところが数年後、その米国のタイヤメーカー、大規模な問題を発生させてニュースの一面に登場。何やら大規模なリコールのようです。
「やっぱりねー、あんなタイヤ作っていたんですものね」 と家内、やっと溜飲を下げたのか、テレビを見ながらウンウンと頷いていました。
その他、タイヤでは色々と泣かされました。スタンディング・ウェーブ現象。免許センターの違反者講習で習い、「へー、そんなこともあるんだ」 程度にしか理解していなかったのですが、パリダカで実際に経験してしまいました。
砂丘を走り抜けるコツは(日本では必要ありませんが)、タイヤの空気圧を下げること。
通常2.0㎏/c㎡の空気圧を1.2㎏/c㎡程度まで下げます。するとタイヤがボワボワって感じで砂の上に浮くのです。砂丘でのスピードは上がっていませんし、砂にめり込むので、そんな低い空気圧でも問題ないのですね。
ところが、砂丘を出たところで1.2㎏/c㎡まで空気圧を下げたことを忘れてしまい、固い地面の土漠を時速120kmで高速走行してしまったのです。約2時間後、突然のバーストです。タイヤが爆発的にバラバラ。ウァー、何だ何だ・・・アッ、これがスタンディング・ウェーブ現象ってやつか、ってなもんです。
ここで、アレッ、って気づかれた方は車のプロ。
砂漠で1.2㎏/c㎡まで下げた空気圧をどうやって2.0㎏/c㎡まで上げるのか、ですよね。
長野号(一回目のパリダカ)の時は、自転車用の空気入れを持っていきましたが、これは失敗。素人発想でした。炎天下の砂漠で、いくらポンプを押しても少ししか空気が入らないのです。そこで盗み見した他チームの方法、それはスペアタイヤを使うグッドアイデアなのでした。
まず、スペアタイヤの空気圧を8~10㎏/c㎡まで上げておきます。2本積んでいるので、計16㎏/c㎡程度を持っていることになります。そして空気圧を下げたタイヤにゲージ付きのホースで、空気を補充するのです。4本のタイヤに1㎏/c㎡の加圧だと、3回程度は空気圧を上げられます。
この方法、気に入って、今でもハイラックスサーフのスペアタイヤ(1本)の空気圧を6㎏/c㎡まで上げて、いざと言う時のために準備しているのですが、残念ながら未だにタイヤ加圧のチャンスはありません。日本って幸せな国です。
もう一つ、チューブレスタイヤになってからのお話。
タイヤは定期的に交換していたのですが、ある日突然のパンクです。見るとチューブレス・バルブが抜けてしまって、ありません。そのバルブ、ほぼ同じ時期に4本とも連続して抜け落ちてしまいました。
計算すると、そのバルブを付けてから走行距離10万キロ後の破損ですから、その辺りがバルブの実質耐用限界ってことなのでしょうね。
タイヤを交換した折に、てっきりバルブも交換してくれていたと思っていたのに、交換してなかったのですね。昔は、そんな常識のないショップがあったのです。もちろん、そのショップ、例の米国タイヤを付けてくれたお店です。今では、もう2度と立ち寄ることはありません。
ところが、口だけドライバーの家内、今でもそのタイヤショップの前を通ると急に元気になり、車を止めろと言いだします。条件反射なのでしょうか?
いやはや、口論上手な女性を家内にすると、頼もしいやら、恐ろしいやらで困ったものです。(・・・冗談ですよ冗談)
text by 北 | 2005.04.14 | [ 風が吹くと車が壊れる ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
April 07, 2005
第7回:我が家のスターターはイケメンに弱い
風が吹くと車が壊れる by 北
前回の昔話に引き続き、今回も少し古いお話を。
ドッドッドッドッ と鳴るのは、今乗っているディーゼル車のハイラックス・サーフ。
ドンカラドンカラドンカラ と、ややノッキング気味に鳴っていたのは、トラックと同じエンジンを積んでいた古いタイプのビッグホーン。
ジムニーやR2は、テンテケテンテンテケテンテン と相撲の呼び込み太鼓のような排気音を発してました。そして、パタパタパタパタ と家内がスリッパで廊下を走っているような音を出していたのがVWビートルです。
私が始めて手に入れたのは、そのスリッパ型エグゾースト・ノートのVWビートル。家内と一緒に米国へ住み始めて間もない頃に入手した車です。
当初は、初めて車を買うのだから、それも買い物下手な日本人が、ということで友人達が車探しを手伝ってくれました。エリックが探してきたのは、MGB。ややミッションの2速目が入りづらいのですが、英国のオープン・スポーツカーで、若い二人にはちょうど良いサイズとのこと。そしてマイクが紹介してくれたのは、BMWの小型車。これは、海兵隊員がドイツから戻ってくる際、引越し荷物と一緒に軍用機で送った車だそうで、程度も良いとのことです。
ところが私達、車はまったくの初心者、MGBとBMWの名前を知りませんでした。
「何だか、アルファベット3文字の車ばっかりね」と家内。
「知らない名前だよなー。きっとヨーロッパのマイナーなメーカーなのかも」
なんてトボケた事を言って、
「やっぱり日本車か、アメ車の知ってる車にしよう。何となく安心だし」
ということになったのですが、今思うと何てもったいない事をしてしまったのだろうと後悔しています。かの銘車、MGBとBMWをフンって感じで足蹴にしてしまったのですから。
そして手に入れたのが、かなりくたびれたVWビートル。もちろんビートルのことは、知ってました。昔、じい様がよく言たものです。
「世界で始めて10万キロ走れるようになった大衆車はVWビートルだ」 って。
この古すぎる情報を信じてVWビートルを入手したのですが、その後、トラブルに泣かされる事になってしまったのです。
最初のビートルは、ブルーカラー。短命でした。購入して3ヵ月も経たないうちに、交差点でキャデラックに追突されて廃車。VWビートルのエンジンは後ろに付いていますから、追突にはいたって弱いのです。もちろん、キャデラックには傷一つありません。警察官が現場に来て事情聴取したのですが、話を聞いてビックリ。そのキャデラック、フットブレーキが利かずサイドブレーキを使って止めていたんだそうです。
さすがに大陸、おおらかというか雑というか、あまり細かい事には関知しませんって感じなのですが、やはりブレーキくらいは利かせて欲しいですよね。
次に手に入れた車もビートルです。色はペニーカラー。ペニーって1セント銅貨のことですから、いわゆる銅色です。この車、まるっきしのボロ・・・見かけは綺麗なのですが、故障ばかりです。
最長のドライブは、コロンバス・オハイオからアセンズ・ジョージアまでの大陸縦断引越しだったのですが、途中のスモーキー・マウンテンズを越えられません。長い渋滞のトップをトロトロと山越えし、やっとの事でアセンズに到着したとたんにダイナモが壊れてダウンです。今は交流発電機のアルタネーターなのですが、古い車は直流発電機のダイナモで、ブラシが付いていました。そのブラシが焼き切れてしまったのです。
当時は、まだ自分で修理するだけのノウハウはなく、工場で治してもらったのですが、故障の多い車、そうそう修理にばかり出していてはいられなくなり、自分で修理を初めることになってしまいました。ブレーキ、キャブレター、ディストリビューターと、色々分解しては組み立てられなくなり、友人に泣きついたりしたものです。
ところがこの車、電気系統が特に弱いらしくスタートしない事が多いのです。その度にオシガケ。
「クソッ、またスタートしないよ。オーイ・・・オシガケ頼むよー」
「エーッ、またー。いいかげんにしてよね、本当にこまったカブトムシちゃん」
なんて呟きながら、家内がビートルのお尻を押し始めます。
我が家のスターター、華奢に見えますがかなりの力持ち。もちろん体力だけではなく、口論も得意な男勝りです(ゴメン、嘘です冗談です)。
「ヨイショ、ドッコイショ、ヨイショ・・・」
もう少しでギアを2速に入れて、クラッチをポンと外せば、エンジンが始動できそうだ、と思ったその時、近所の男性とばったり。
「アラー、ジョン・・・おはよう」
と挨拶をするや、みるみる馬力が落ちていきます。オイオイ頑張ってくれよな、と思っても、彼女、か弱い大和撫子に大変身です。急に肩をしならせ可愛そうな声で、
「私ー、なかなか押せなくってー」
「オー、またエンストかい・・・かわいそうに」 って話してます。
――ウソツキ・・・いつもは、ちゃんと押してくれるじゃないか。
なんて事を思っていると、ジョンも一緒に手伝ってくれて、ブ、ブ、ブルブルブルとエンジン始動。
我が家のスターター、いつでも、どこでも動いてくれるのですが、イケメンに弱いのが玉に傷です。
結構、ジャジャ馬というか、ふてくされ気味なペニーカラーのビートル、最後は友人が高速道路でひっくり返して廃車になりました。
「屋根を下にして、火花を散らしながら高速を滑ったんだけど、逆さに止まってもエンジンずっと動いてた。ビートルのエンジンってどうなってんの」 だそうです。
かすり傷で済んだのですが、ビートルの丸っこい屋根、とても強いんですね。
その事故の後に手に入れたのは、再度ビートル。色は赤でした。さらにVWキャンパーに乗り換え、結局4年間で4台のVWを潰してしまったのでした。
どうやら、私もじい様に似て、故障で苦労しててもビートル一辺倒。頑固なところを受け継いだようです。
ビートルのジョークを一つ。
初めてビートルを見た女性、ボンネット開けて一言。
「アラ、この車、エンジンがないのね」
すると、持ち主の女性が、
「大丈夫よ、トランクにスペアのエンジンが積んであるから」(笑)
ところが、この話を聞いた家内。
「フン、何が面白いのよ、単なる女性蔑視じゃないの」
「・・・ゴメン」
一緒に笑っていた米国の男性達も一瞬のうちにシュン。そして小さな声で、
「日本の女性って、見かけによらず強いんだなー」
それは、そうでしょう・・・彼女、我が家のスターターモーターですから。
今週は忙しくて、ショートストーリーになってしまいました。来週は頑張って、と思っているのですが・・・週末はお花見に突入。
写真の花、桜ではなくフラワリング・ドッグウッド(ハナミズキ)です。
text by 北 | 2005.04.07 | [ 風が吹くと車が壊れる ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
March 31, 2005
第6回:レトロな頃
風が吹くと車が壊れる by 北
今回は、我が家のじい様が初登場。時代は45年前、私が小学生の頃の昔話です。
当時は、まだマイカーブームが始まる少し前、車を持っていたのはお医者様かセレブな方々のみで、まだ一般にはラビットやピジョンのスクーターが活躍していた頃です。その時代、我が家のじい様、といっても当時は好奇心旺盛な壮年の真っ盛り、新しい時代の先取りだと、テレビと自動車の先行入手を試みたのでした。
まずテレビ。これは当時の超贅沢品で、サラリマン給与の数ヶ月分でも手に入りません。そこで(若き)じい様、自分でテレビを作ることにしたのです。四角ではなく円形のブラウン管を米国から取り寄せ、真空管を組み合わせて(まだトランジスターもない時代)、中身が剥き出しのテレビができ上がったのは、九州にNHKが開局した年でした。
ポパイ、力道山、ハイウェイパトロール(字幕付)、そしてちょっと遅れて月光仮面のおじさんが登場していました。
話はずれますが、小学生になって間もない私は、このハイウェイパトロールの字幕を読みたくて漢字の勉強をしたものです。そんな話を家内にすると、
「そうよねー。今のテレビ番組を全部英語でやって、字幕で放送すれば、子供たち必死に勉強するのにねー」
テレビを入手した後は、(若き)じい様、次なる野望の自動車に挑戦です。でも、さすがに自動車を作るってことはできません。かといって当時のサラリーマン給与が3万円の時代、新車には手が届きませんから、大衆車ができて数年間、中古が出るまで待つことにしたのです。
そして、テレビに遅れる事4年、最初に我が家へやってきたのが、ダットサン110という排気量860CCのセダンでした。・・・といっても知らない方も多いのではないでしょうか。
1955年に生産を開始し、その後ダットサン210に進化して、1959年、次のダットサン310がブルーバードって名前になりました。いわゆるブルーバードの前身となった車です。上の写真はダットサン210。
ちょっと見、ブリティッシュな香りがしてローバー・ミニに似てるかも、なんて言うとミニファンに怒られそうですが、もう少しデザインをリファインすればスバル・ビストロの兄貴分になれそうな感じです。
ところが、やっと車を手にいれたものの、当時の車、今のような耐久性を持っていませんでした。そこで(若き)じい様、
「よっしゃ、この車を新車にしてしまおう」
と、エンジンやキャブレターのオーバーホールをすることにしたのです。エンジンブロックを分解し、ピストンリングやベアリングの交換です。しかし、そこは素人。エンジンを組み立てる際、クランクの下に付いていたエンジンオイルを跳ね上げるための爪を逆さに取り付けてしまい、ややオーバーヒート気味の車を作り上げてしまったのです。
エンジンの冷却はラジエターが主役ですが、エンジンオイルの温度低下も必要だったのですね。後年、私がVWビートルを分解していて知ったことですが、空冷のVWビートルは、冷却ファンの奥にオイルクーラーが入っていました。今のオートバイのオイルクーラーと同じです。
ダットサン110の分解整備も終わった昭和37年の夏休み、(若き)じい様は、友人3人と、このオーバーヒート気味の車で九州一周の旅に出かけます。ところが、南へ進むにつれエンジンは過熱する一方。そして、とうとう宮崎の都井岬へ向かう途中、オーバーヒートでダウンです。![]()
頭をボンネットの中に突っ込み、色々と手を尽くしますが、なかなか治りません。そして悩んだあげく、ピンと閃いたアイデアがボンネットを取ってしまう方法。このエンジンを裸にしてしまうアイデアは以外に効果的で、ボンネットを屋根にのせたまま残りの九州半周を回ったのですが、その間、オーバーヒートは一度も起きなかったそうです。
でもこの方法、ボンネットを屋根にロープで結び付けるのでドアが開かなくなってしまいます。窓から出入りすることになるので、女性にはちょっと大変かもしれませんね。
「気分は、飛行機のパイロットじゃたな。なぜって、目の前でプロペラ(ラジエターファン)がブンブン回っとるもんでなー」
なんて話を旅から帰ってきた父親から聞き、私も子供心に、
――車ってのは大変な乗り物だ、修理しながら走らせるのだから
と、本気で思ったものでした。
「それに、普通車とのすれ違いはいいんだが、トラックやバスとすれ違う時は困る。皆が下を眺めながらニヤニヤ笑うんだ」
そんな、ややバンカラを楽しんだ風なことも言うのです。
そして、このボンネットの撤去作戦、その後もしばしば話題に出てきます。パリダカに出場が決まった折には、
「今度サハラ砂漠を走るんだってな。暑い所だ。もしラリーカーがオーバーヒートしたらボンネットを捨てて走れ。そうすりゃ旨くいくぞ」
なんてアドバイスを受けてしまいました。
ダットサン110は、楽しい車でした。スターターがホンダS2000やフォーミュラカーと一緒で、まずイグニッションキーを回して、スターターの赤いボタンを押すのです。でもちょっと悩んでしまいます。スポーツカーで流行のスターターボタン・・・斬新なのか、それともレトロなのか。
ただ、今の車と違うのは、ダットサン110のスターターボタン、イグニッションキーを回さなくても、独自にスターターモーターが回る仕組みになっていたものですから、時々ちょいとスターターボタンを押し、10センチ程車を動かしては父親に怒られていました。また、ヘッドライトのビームスイッチが床に付いていて、足でカッチンと踏み込んでライトのアップ・ダウンを変更するのです。
何故そんなことを知ってるのかって? それは、遊園地のゴーカートの代わりに空き地で運転させてもらっていたもので・・・。当時は、ゆったりとした時代でした。
エンジンオイル掻き上げの爪が逆だった事が判明したのは、乗り始めてから6000Km後のことです。家族で飛行機を見ようと空港へ遊びに行った帰り、突然車が動かなくなってしまったのです。
思い出すと、当時は飛行機の離着陸を楽しみに見に行ってた時代なんですね。今だと、
「さあ、空港へ遠足に行こう。ジャンボを眺めながらお弁当だ」 なんて言うと、
「・・・パパ、きっと仕事で悩み事があるのよね、そっとしといてあげましょう」 って言われかねません。
結局、修理工場のプロの整備士が爪の逆付けを発見して、それ以後、オーバーヒートはなくなりました。
しかし、このダットサン110、最後は錆でボディーがボロボロです。指で押すとベコッと引っ込んだり、床に穴が開いて道路が見えたり。さらには、センターピラーと床の接合部分が朽落ちてしまい、T型の金物をビス止めして、なんとか乗りこなしていました。
「今の車は本当に錆んのー。昔の車は塗装が未熟だったのじゃろうかな」
ピカピカに光っている今の愛車ブルーバードを眺めながらじい様は、そう呟くのです。・・・が、ダットサン110を青とクリームのツートンに塗り分けたのは、たしか(若き)じい様自身ではなかったのか、と私は、昔のかすかな記憶を探るのでした。
ダットサン110の悪口を言ってるように聞こえるかも知れませんが、それは違います。
我が家の最初の車ですから懐かしさで一杯です。自分で身内の悪口は言えても、他人が言うと腹が立つといった感じでしょうか。そして何といっても、そのダットサン110以後、父親は、じい様になるまでの45年間、ずっと日産の車を乗り続けたのです。
「なぜ日産ばかり乗るの?」
「昔からエンジンの日産って言われてて、そんな質実剛健な雰囲気が好きだったからじゃが・・・まあ最近は、ここまで一緒だったからには最後までっ、て感じかなー」
そんな感慨深げな父親の話、言葉の最初を聞き漏らした母親が、
「アラ、嬉しい・・・フフフッ」 と勘違い。
その後
今回の話を聞いた娘が、じい様と電話で話をしていました。
「おじいちゃん、そのうちゴーンさんから表彰されるかもね」
「そうじゃろかなー・・・で、何の賞かな?」
「・・・? エッ、エーと・・・そう! きっと皆勤賞よ」
「・・・」
そして一言。
「おじいちゃん、元気でいてね」
text by 北 | 2005.03.31 | [ 風が吹くと車が壊れる ] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
March 24, 2005
第5回:若葉の頃
風が吹くと車が壊れる by 北
2年ほど前のお話しです。
「ジャーン、やっと取れました」
週末の朝、食後のコーヒーを飲んでいると、娘がニコニコと笑いながら取れたての運転免許証を大切そうに持ってきました。
「見せてごらん・・・ホー、写真の目線、なんだか媚び売ってるな」
「エッ、コビ・・・ムッ!」
キッチンで洗い物をしていた家内も、ドレドレ。
「そんなことないわよ、ミーちゃん。可愛く撮れてるじゃない。ダメですよパパ、そんな本当のこと言っちゃ・・・アレッ?」
「ムムッ!」
そして、トーストをかじっていた息子も一言。
「ハハハ、お姉ちゃんの写真、ブリッコしてら」
「何よ、皆! そんな悪口言ってると、お買い物やお酒飲んだときのアッシーやってあげないからね!」
一瞬、家族の目線が飛びかい、シマッタという顔つきに変化です。
「冗談だよ、ほんの冗談・・・ナー、ママ」
「そうよ、ミーちゃんとっても可愛いわよ、ネー、ヨウ君」
話を振られて困った息子も
「・・・ウン可愛い」 と、思わず心にもない返事をしてしまいました。
その日は、以前から娘の初運転が予定されています。我が家の伝統では、初めての運転には世帯主が横に乗り、運転の指導をすることになっていて(伝統といっても、私と同じ経験をさせるだけのこと)、今日は午後から九十九里浜まで片道50キロ、往復100キロのドライブなのです。
「ミーちゃん、車を表通りに出しといて」
いつもの事ですが、我が家では遠足になると準備が大げさで、出発が遅れ気味になってしまいます。初めての乗車レイアウト。娘が運転席、私が助手席、後部席に見学と言うか、野次馬の家内と息子が乗ります。今回もおやつの選定に迷った家内が最後に乗って、さあ、出発です。
道路脇に駐車していたハイラックスサーフに右折ウインカーがチカチカと入り、動き出したその時。
「キャー!」 と後部座席。
「危ない!」
急ブレーキ。 と同時に、サーフの右横をバスが擦るように通過していきました。
「バカ者! バスが来てたのに何故出たんだ。後方確認しなかっただろう。安全確認、習わなかったのかー!」
娘の顔がピンクに染まり、心臓がバクバクしているのが分ります。
「ゴメン・・・つい・・・」
「ゴメンじゃない! そんな運転してると免許証、返しちゃうぞ」
「それはないわ、免許にお金たくさんかかってるんだもの・・・ネー、ミーちゃん。えばってるけどパパの最初はひどかったって、おじいちゃん言ってたわよ」
すかさず家内のサポートです。結婚してウン十年、さすがのタイミング。
昔の話ですが、私の初ドライブはまったくひどいものでした。発進して最初の交差点、信号は赤だったのに停止線で止まれず交差点の真ん中で停止。次の信号は登り坂、ところが坂道発進ができずにスルスルと後退し始め、後ろの車も慌てバック。2台の車が繋がって交差点から後ろ向きに離れていったと、車が話題になると、我が家のじい様は、その昔話を皆に吹聴するのです。
まあ、当時は仮免の路上練習はありませんでした。それに自動車学校へ行かず、直接免許センターで取るのがカッコ良いと、何回も免許センターに足を運ぶことのできた、おおらかな時代の話です。
そうやって父親に怒鳴られた私の初運転・・・今回は私が怒鳴る番です。
ところが初発進にミスがあったものの、その後の娘の運転、意外と上手なのです。内心、正式に怒鳴ることができると楽しみにしていたので、ちょっとがっかり。でも黙っていては練習になりませんから、しかたなく、細かいことにイチャモンを付けるような、やや大人気ない指導をすることになってしまったのです。
「ウインカー出すのが遅い!」
「ハイ」
「もっと後方確認を!」
「ハイ」
「キョロキョロしない!」
「・・・だって、後方確認を・・・」
「教官に口ごたえしない!」
「・・・」
「返事は?」
「ハイ 」
「声が小さい!」
さらには、 「歩道を歩いているイケメンに流し目なんかしない!」 なんて言うものだから。
「パパ、いいかげんにしてよね。うるさくて運転できないじゃない!・・・プッツンしそう」
「バカ者! プッツンしそうだとは何事だ。運転は絶対に冷静じゃなくちゃだめなんだぞ。修行が足りーん!」
こうなると口だけドライバーの家内が二人の仲をとろうと、シャシャリ出てきます。
「何かの本に書いてあったけど、ジャンボジェットのパイロットになったつもりで操縦すると上手な運転できるんですってね」
「フーン、じゃーパパはエアバスのパイロットで、ミーちゃんがセスナのパイロットくらいか」
息子も口出しに参加して、練習運転、ワイワイガヤガヤと進んでいったのでした。
実際、冷静な運転ってよく言いますが、いざとなると、なかなか難しいものです。パリダカやキャメルトロフィーで何度も立ち木に衝突したり、穴に落ちたりしたのですが、ぶつかる瞬間、ハンドルを無意識に右へ切ってしまうのです。助手席にいると恐怖です。ぶつかると思った瞬間、クイッと車が右へ向いて助手席めがけて障害物が迫ってくるのですから。きっと本能的に運転手は自分を守ろうとしてしまうのかもしれません。
果たして家族の乗った車がぶつかる時、冷静に運転手側を障害物に向けてぶつけることができるのでしょうか。イメージでは理解していても、本能に打勝って自分を犠牲にすることができるかどうか、今のところ、まだ分りません。
さすがに自動車学校を卒業して路上運転も経験した初心者。大きな問題もなく房総の海でピクニックをして、夕方、自宅へ戻ってきました。ところが、家へ近づくにつれ、雲行きが怪しくなってきます。春の寒冷前線です。東京が黒い雲に覆われると、その45分後に千葉へやってきます。気温が急に低くなり、無風状態が30分続いた後、突然の嵐です。
「前が見えないよー」
「ワイパーを全開にして」
「全開?」
「このレバーをもう一つ下まで下げて」
「アラ、早く動いてる」 ・・・やっぱり初心者です。
豪雨の中を無事に我が家へ到着。残るは最後の駐車です。
「バックミラーも後ろの窓も見えないよ。どうすればいいのー」
フフフッ・・・やっと困ったぞ。今こそ教官の出番です。
「見えないのなら、窓を開けて後ろを確認しながらバックするしかないでしょう」
「エー、ビショ濡れになっちゃうよ」
「ほかに方法は?」
しかたなく娘は窓を開け、荒れ狂う大粒の雨の中に顔を突き出して泣きながらバックです。窓を超えて風雨が車の中にも入ってきます。娘は頭からビショ濡れ。
濡れカラスのようになりながらも、駐車が完了したところで後ろの座席からパチパチパチと拍手です。家内が急いでタオルを差し出します。
「わかったかな、運転・・・時には辛抱も肝要」
なんて知ったかぶりを偉そうに言うと、息子が一言。
「駐車、何で前から入らなかったんだろう?」
「・・・」
「・・・」
頭にかぶったタオルの奥から、娘のきつい視線が私に向かって飛んできたのでありました。
その後
豪雨の運転というオマケも練習し、あとは高速道路と雪道の運転ができれば一人前。ということで若葉マークも外れた、つい1ヶ月ほど前に、娘、首都高速デビューをしました。
かなり運転は上手になったのですが、首都高速の右車線で、きつい右カーブに入ると車が左へ大きく膨らみます。
「もっと右寄りにラインを取らないと、左車線に近づき過ぎてるよ」
「だって、右のコンクリートガードがビュンビュン飛んできて、怖いんだもの」
やれやれ、高速道路はまだ初心者です。視線が近すぎるのでしょう。
残るは雪道走行。今年中に経験させたいのですが、千葉、なかなか雪が積もりません。東京が雪でも千葉は雨なのです。早めに北国にでも行かないと今年の雪がなくなってしまいます。
若葉さんのいる北海道に送りだそうかな、それともkusuちゃんの住むバンクーバーだと 「ヤッタ!海外旅行だ」 って飛んで行くかも、なんて勝手なことを考えていると・・・もうすぐお花見です。
text by 北 | 2005.03.24 | [ 風が吹くと車が壊れる ] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)
March 10, 2005
第4回:白銀の薄情-その2
風が吹くと車が壊れる by 北
白銀の薄情
今回は3年前、娘が大学生、息子が小学生高学年の時のお話です。
年も暮れ、師走の31日、私たち家族はハイラックスサーフで中央高速を北に向かって走っていました。家内が発案した「おせち料理からの開放・お正月北国ツアー」の始まりです。
ゆっくり温泉に入って、おいしい食事を楽しんで、お正月の手抜きをしようという家内の魂胆と、テレビでしか見たことのないスノーボードに乗っかってみたいという子供たちの要望が重なって、その年のお正月を北国で過ごすことになったのです。
でも思いついた時期があまりに遅く、どこの旅館も一杯。
「しょうがない、雪中キャンプにしようか」
「絶対ヤダー」と家族の猛反対。
「どこかに連れてってよ! クミちゃんちはハワイだって」
「そうよねー、かわいそうな子供たち」
何というみごとな連携プレー、日頃から訓練しているのでしょうか。まあ、こうした家族のプレッシャーを一身に受け、世帯主、色々と手を打ったのですが、結局、以前私が設計した友人の別荘を借りることになりました。
その別荘、古い民家の姿をしています。梁は100年前の古材を利用し、漆黒の屋根裏空間が特徴的です。囲炉裏と檜のお風呂があり、個室の数も充分、そして何より床暖房を始めとした設備が充実しているので、古い伝統的な暮らしを体験しつつ快適に過ごすことが出来るのです。もちろん豪雪地帯のど真ん中でスキー場も近くにあります。
「エー・・・旅館じゃないの、おせちはどうなるのよ」
「大丈夫、男料理の鍋三昧だ! ドンと私に任せておきなさい」
「ゲッー」・・・子供たちが顔をしかめて目を合わせています。彼ら、私の男料理がまずいことを知っているのです。
目的地の別荘は、飛騨の山の中にあります。飛騨高山までは、それ程の雪ではないのですが、そこからひと山超えると積雪量が急に増えます。
年末31日の午後2時、高山から登ってきた尾根のトンネルを越えると、そこから一気に雪国です。細長い谷間は雪で真っ白、その谷の真中を流れる清流も深い雪に覆われて幽玄な趣をかもし出しています。風に吹かれて雪がキラキラと舞い落ちる中、道沿いの崖には、サルの一群がお地蔵様のように並んでいます。
「ワー、おサルさんよー」
「こっち向いて!」
めったに目にしない美しい冬の景色に家族一同やや興奮気味。そして別荘は、その谷の奥深く、道路除雪のされない地域にあるのです。谷を登ること1時間弱、川が渓流に変化する頃、除雪道路の終了です。この先は雪が深く集落もありませんから、JAFや救急車が入って来れない自己責任の世界になります。
「さて、ここからが楽しんだぞー」
「ネー、絶対失敗しないでよ。川に落ちるの嫌だからね」
もう四輪駆動にはセットしています。積雪50cmの道をスタッドレスではないオールシンズン用のタイヤで確実に登っていくのみです。四輪駆動の登りはそれ程難しくありません。リアに荷重が加わり、前後輪の接地荷重のバランスが同じになっていますし、前輪がクルマを引っぱってくれますから。難しいのは下りです。接地バランスは逆になり、軽くなったお尻がすぐに滑ろうとしてきます。
眩しい程の白銀の世界、山の奥に流れる渓流に沿ってハイラックスサーフは気持ちよく勾配の増した雪道をトロトロと登っていったのでした。
そして別荘まで残り100m、ここで一般道を外れ、別荘への細道に入ります。雪の深さは70~80cmと言ったところでしょうか。
「さあ、ここまで来ればもう少し、最後の難関だ」
「ねえ、もうやめたほうがいいじゃない・・・歩けるんだから、車、ここに置いてきましょうよ」
普段、強気の家内が以外にも弱気です。それもそのはず、南国育ちの彼女は雪のことをあまり知らないのです。で、私?・・・同じく南国育ちです。
冬になってから誰も通っていないバージンスノーの道へ、ガガーっと入っていきます。バンパーと床下のエンジンガードで雪をかき分けて進むのですが、そのうち止まってしまいます。バックして再度、ガガー・・・いわゆるラッセルです。
こういう時は、何といっても鉄のバンパーに限ります。最近の樹脂バンパーではこういう野蛮なことができませんから。でも我が家のハイラックスサーフ、フロントガードは付けてないんですよ。中古で購入した時には付いていたのですが、買ったその場でフロントガードを取ってもらいました。ディーラーさん曰く、
「せっかくのフロントガードを外すんですか? 皆さん、これお好きなんですけどねー」
「そう取って下さい。あんまり良い記憶がないもんで」
「エッ・・・まさか人を・・・」
「違いますよ!」
実は、キャメルトロフィーの夜間走行でワラビー(小型のカンガルー)がヘッドライトめがけて飛んできてハネてしまったことがあるのです。
フロントガードのおかげでランドローバーは無傷でしたが、可哀相にワラビーは・・・。さらに写真のような猪をハネたチームもありました。
でも、日本では路上に野生動物が出てくる機会も少ないですし、もしいるとすれば、人間の可能性のほうが高いのですから、少しでもショックをボディーで吸収できればとフロントガードを取ってしまったという訳です。
話を戻します。結局、順調に進んでいたラッセルですが、残り50mでついに前にも後ろにも進めなくなってしまいました。スタックです。子供達が騒ぎます。
「アーア、動かなくなっちゃったよ」
「大丈夫。・・・パパにしてみれば、いつものことだから」
家内は、いたってのんびりです。もちろん私も・・・。
ところが、車の外に出て唖然。タイヤが前後1本づつ2本が空回りしているスタックならば何とでもできるのですが、4輪とも空回りしています。いわゆる車のお腹を下から突き上げられた亀の子スタック。古い雪が氷になり固まった上へ、ドシンと乗り上げてしまったようです。
コリャー少し時間が掛かるかも、とつぶやく私に、
「それじゃ私達は別荘で待ってるから、後はよろしくねー」
そういい残して、家内と子供たちはルンルン気分で荷物をソリに乗せ、別荘へと向かっていってしまったのです。
「クッソー! 薄情な奴らめ・・・こうゆう時こそ一致団結するのが家族ってもんだろ」
別荘では何やら楽しい声が上がっています。午後3時、早くしないと暗くなってしまいます。ブツブツ一人で小言を言いながらも、あわてて脱出作業の開始です。
サーフの横からスコップで氷をコンコンと叩くのですが、とても硬くてうまくいきません。砂や泥、新雪ならば難なく脱出できるのですが、氷は厄介。・・・いやはや、まいった。
日も落ちた5時過ぎ、やっとのことで亀の子スタックから脱出です。別荘までほんの少しの距離なのが癪の種。寒いのに汗びっしょりで別荘に到着です。
パチパチパチ・・・アレ?
「いらっしゃーい、ご疲れ様でした」
「お風呂、はいれるよ」
3人が笑顔で手を叩きながら出迎えています。床暖房は充分に暖かく、囲炉裏には火が入り、既に鍋が掛かっています。
「いい運動不足解消になったわね」
誰も手伝わない薄情な家族に頭80%まで血の気が昇っていた私も、こうした出迎えを受けしまっては、お父さんメロメロです。つい、にっこりしてしまい、簡単に家族の手中に落ちてしまいました。
檜の香りのする風呂に入り、雪で冷やしたビールを片手に囲炉裏の鍋をつつき、蕎麦をたぐる頃、凛とした静寂の雪の中で4人は、年を一つ越したのでありました。
その後
正月3ヶ日を雪遊びと予定していたのですが、2日の朝、3日からかなりの大雪になるとニュースが流れてきました。
「もっと遊びたい」 という子供たちに、
「このままだと車が雪に埋まってしまい、孤立して帰れなくなるぞ」 と脅し、予定よりも1日早く別荘から逃げ帰ることにしました。
雪は3日から6日まで降り続け、昭和56年以来の豪雪となって多くの被害を発生させました。そして7日、その雪はさらに悲しい出来事をもたらしたのです。友人の写真家O氏が奥穂高からの単独帰路中、未曾有の雪に遭難し帰らぬ人となったのです。
2002年正月、その豪雪は私にとって忘れることのできない薄情な雪となってしまいました。
text by 北 | 2005.03.10 | [ 風が吹くと車が壊れる ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
March 03, 2005
第3回:白銀の薄情-その1
風が吹くと車が壊れる by 北
車って水の中を走れるの?
前回、キャメルトロフィーの写真を載せましたら、「車って水の中を走れるの?」って、ご質問がありましたので、ちょっと説明です。
私が出場したのは第7回キャメルトロフィー(トロピカル・オーストラリア)でした。クロコダイル・ダンディーが住んでいる北部オーストラリアで、世界18カ国から各2名が参加した国際泥んこレースです。写真は、その時のもの。
それで、どこまで深く水の中を走れるのかと言いますと、この写真は、まだ大丈夫。ただ、車が水に浮いてますから、走るためにはドアを開けて水を室内に入れて重くしなくてはいけません。車を沈めてタイヤを川底に接地させます。でも浮力があるから走りは結構ヨタヨタです。
で、種あかしを。実はこのキャメルトロフィーのランドローバーは、防水仕様なんです。吸気は運転席の外側にシュノーケル(スキンダイビングのシュノーケルと一緒)が付いていて、そこからエンジンに空気を送ります。排気は普通の方法、水の中にあるエグゾーストパイプからボコボコと排気しています。電気系統も完全防水。水中でもヘッドライトが付いてます。そして、エンジン、トランスミッション、デファレンシャルは、パイプで繋がっていて、内部が加圧されているので水が入ってこないのです。
以前、この写真を見て「車って結構水に強いんだ」と勘違いした友人が、エンジンに水を入れてしまいウォーターハンマーで廃車にしてしまいました。普通、水溜りはタイヤの半分までって言いますが、それを超えるとデフやトランスミッションが急激に冷やされて、水を内部に吸い込む可能性があります。くれぐれも水中走行にはご用心を。
ハイラックスサーフ登場
さて、今回はハイラックスサーフの登場です。
「写真はハイラックスサーフが写っているのにビッグホーンの話ばっかし」と言われてしまったのですが、ビッグホーン、25万キロも乗っていたので色々と面白い話が多くて・・・つい。そこで、ビッグホーンの話は次の機会にということで、とりあえずはハイラックスサーフの話を進めることにします。
ただ、25万キロ走った廃車直前のビッグホーンは壮絶でした。持病だったラジエタ-は割れてしまい、アルタネーターは発電せず、スターターモーターも3度に1回は動かないという状況。オイル漏れ、水漏れ、電気漏れとまるで、この時を待っていたかのように一度にトラブルが集中しました。設計走行距離がきちんとセットされているんじゃなかろうかと思えるほどです。
最後は洗車して業者さんに引き取ってもらいましたが、こういう時って愛おしさがこみ上げるものですね・・・。(家内は、これでやっと開放される! と、万歳してましたが)
で次の車、ハイラックスサーフは、かなり前から決めていました。実は、キャメルトロフィーから4年後、またもや偶然に第12回パリ・ダカール・ラリーに出場することになったのです。経緯はマグレから。その年、長野市が冬季オリンピックの開催地に立候補していたのですが、長野市民がNAGANOを世界に宣伝しようと、パリダカール・ラリーに「NAGANO・JAPON」という名の車(トヨタ・ランドクルーザー70系)を2台、出場させることになったのです。
そして、友人と、そのドライバー公募に応募したのですが、なぜか受かってしまいました。レースライセンス(国際C級)が必要なのですが、国内B級も持ってませんでしたし、冷やかしのつもりだったので大慌てです。
結局、パリダカに出場できたのですが、なにしろ始めての素人なもので、とんでもない珍道中になってしまいました。他チームからは、「長野号、すぐにリタイアだな」 と言われたり、「よく着いて来るけど、もう明日はいなくなるだろ」 なんて悪口を叩かれながら、ダカールまであと2日で無念のリタイアです。(原因はミスコース、・・・迷子でした)
今さらですが、長野の皆さん、ありがとう。ところが翌年、今度は(時計の)カシオ・チームからドライバーで再度パリダカに参加しませんかって声が掛かったのです。ビックリ・・・エッ、何で!ですよね。理由を聞いて、こんなこともあるのかって思ってしまいました。
パリダカって人生ゲームに似ていて、速く走ると早くゴールに着いて、食事と睡眠をゆっくり取れ、車の整備も充分にしてあげれる、という好循環を保てるのですが、一度トラブルに出会うと、到着は遅れ、寝れず、整備もできないという悪循環に入り込んで、雪達磨式にリタイアの道を転げ落ちていくのです。ですから、パリダカのビリッケツを毎日継続するってのは、とても大変なことなんですね。それを私たちが最初からズーとやり続けてたのをカシオ・チームが見ていて、ビックリしてたらしいのです。・・・って、ちょっと手前味噌かな? 本当は、(ここだけの話です)最悪の状況になった時、奇抜で、ちょっとズルな作戦を作り出しては延命を図っていたのです。
ということで、第13回パリダカール・ラリーにもトヨタ・ランドクルーザー80系で出場ということになり、その時は無事「完走」することができました。
パリダカには、各社を代表する4輪駆動車が出場しています。私が出た頃のトップは、シトロエンを三菱・パジェロが追いかけるという展開だったのですが、そうしたワークスの車って見かけは普通でも中身は、モンスターって感じなんですよ。パジェロはどこ・・・って言うくらい中身がすごい。まあ、プロトタイプの改造車クラスで総合優勝を狙っているのですから当然でしょうが・・・。で、私が観察していたのは、もっと下のクラス、プラーベーターが参加する市販車無改造クラスです。
このクラスは、改造をしてはいけないルールになっていますから、安全のためのロールバー、積み込み型燃料タンクの増設、ショックアブソーバーの補強だけが認められ、その他は市販車とまったく一緒です。さらに、市販車無改造・マラソンクラスになるとエンジンとトランスミッションが封印されて、レース中に分解整備が出来なくなります。
そして、このクラスに出てきた各車、トヨタ・ランドクルーザー、ハイラックスサーフ、日産・サファリ、テラノ、三菱・パジェロ、いすゞ・ビッグホーン、スズキ・ノマド、メルセデスベンツ・Gクラス、ランドローバー・ディスカバリー 等々。この車達が次々とトラブルに遭遇していくのです。
もっとも代表的なトラブルは、ボルトの緩み。昔、「ボルトの増し締め」 なんて言葉がありましたが、この時代、もう必要ないのかと思っていたら、過酷な振動を連続させるとボルトやナットはポンポン抜け落ちるのですね。私の車もステアリングナックルを留める頑丈なボルトが脱落してしまい、西部劇の幌馬車のようにタイヤがフニャフニャ揺れる状態なってしまいました。
その他、各車独特の故障が発生します。砂がヤスリになって電気系の配線を切ってしまったり、デファレンシャル・ギアを壊したり、ホーシングを曲げてガニ股のなったり、ハブが割れてポーンってタイヤが飛んでいったり、そして火災で完全に燃えてしまったりと、![]()
他人のトラブルって見ていてとても楽しいものですね(失礼)。そして、ある車に至っては、車の剛性不足でフロントガラスがパンパン割れるものだから、予備のフロントガラスを積んでラリーに出てたりして(笑)。
故障は、ドライバーの運転技術にもよるのでしょうが、各車それなりの弱点はあるようです。でもそれって当然ですし、パリダカのような耐久試験を経て、さらに改良されていくものなんでしょうね。
そうしたトラブル続きのラリーで、意外と上位に上がらないけれど、故障の少ない車があったんです。それがトヨタ・ハイラックスサーフ(向こうではロードランナーって呼ばれていました)。
中を覗いても、それ程ギンギンな仕様でないけれど、設計が、何と言えばいいのでしょう、無理がなくバランスが取れていて、なんとなく洗練された機械って感じがしたのです。出身がピックアップですから、シャーシの強度もありそうですし。という訳で、次なる車は、家内曰く 「年甲斐もなく、若者向けの」 ハイラックスサーフと決めていたのです。
ビッグホーンが廃車になる寸前、ハイラックスサーフの中古を探しました。長く乗ることになるだろから、年式よりも走行距離の短いもの、そしてできればパリダカに出場した年の車がいいななんて思いながら探すと、以外にもすんなり出てきたのです。走行距離3万キロ弱、年式8年前、ディーゼル2400CC、オートマ! ゲッ、オートマか・・・。と、一瞬ひるんだのでは、ありますが、娘曰く、
「絶対、オートマにしてよね。私、免許取るんだから・・・で、4輪駆動車、嫌よ。かわいい丸っこいのがいいな」
なんで父親って娘に弱いのでしょう、結局、軟弱と軽蔑していたオートマにすることにしてしまいました。(今では、運転が楽なオートマ、大好きです)
話を戻します。8年で3万キロ弱の車、年間4千キロも走ってないって本当かな・・・?
整備記録を見ると女性の所有でした。そしてディーラーさん曰く、
「この方、長く海外にお住まいになって、車を使わなかったそうなんですよ」
「そうですかー」って頷くのですが、そう簡単に鵜呑みにはできません。
―― やっぱり物的証拠がなくてはな。
なんて考えながらも、その物的証拠が中々みつかりません。
とりあえず試乗です。運転し始めて間もなく、ブレーキを踏むと微かにタイヤの回転に合わせて奇妙な振動が起きます。そこでスピードを上げ、大きくブレーキ。今度は車全体に、クンクンクンと縦揺れが生じます。「コリャー、ダメかも」と言いつつ、前輪ブレーキを見てみることにしました。ジャッキアップをお願いしたあたりで、ディーランさんも半ばあきらめ顔です。
おやまー、ブレーキディスクが錆びてること。かなり放置していたように見えますが・・・。そしてディスクをゆっくり回転させると、アレッ、ディスクに光っている部分があります。良く見ると裏表同じ場所が新品のように輝いていて、さらに観察すると、その形、ブレーキパッドの姿なのです。「風が吹くと・・・」の全開です。
―― ハハーン・・・もしかするとこの車、本当に乗ってなかったのかも。
長く置きっぱなしにしてたので、ブレーキディスクが錆びたのだけれど、パッドが当たっていた部分だけ錆びずに新品の輝きが残ってたってことです。そしてブレーキを掛けると、光ってる部分が滑ってクンクンクンが発生していたのです。ディスクはそのうち磨耗してバランスが取れますから、これって意外なチャンスかも!
ということで、そのハイラックスサーフ、格安で我が家の第8代目の愛車に就任することになったのでありました。その後、タイヤの取替えでも新事実が判明。タイヤにゴムチューブが入っていたのです。きっと新車の時のタイヤでしょう。とすれば実走3万キロ、本当だったのです。
アレッ・・・いかん。前置きが長すぎて本題のスペースがなくなってしまった。まったく、これだから素人コラムは困ります。どうしましょう・・・なんて言っても仕方ありませんね。続きは次回にということで、タイトルも急遽「その1」に変更です。
今回は前置きのみで失礼します。どうか次回をお楽しみに。
text by 北 | 2005.03.03 | [ 風が吹くと車が壊れる ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
February 24, 2005
第2回:重すぎた春
風が吹くと車が壊れる by 北
今回は久しぶりに男を上げたお話です(本人がそう思っているだけかも)。
前回のクリスマス・イヴから4ヶ月後、千葉から九州までビッグホーンで家族総出の長距離ドライブをやろうということになりました。
「僕、飛行機に乗りたいな」 と息子が言えば、
「そうよね・・・若くて可愛いスチュワーデスさんもいるしねー」 と家内は横目で牽制をかけてきます。
「サハラ砂漠だと、隣町へちょっとお買い物って距離なんだけどな・・・行こうよ」
「日本は砂漠じゃありません!」
とまあ、こうした家族の攻撃を受けながらも、やや一方的に九州への旅を強行したのです。が、またもやトホホのトラブルに出くわしてしまったのであります。
ゴールデンウイーク初日、千葉出発・午前5時、九州到着・午後8時の15時間ドライブを予定して出発したのですが、名神高速の京都手前で最初の難関に遭遇です。
30Kmを超える渋滞。話し続け、笑い続けてここまでやってきたのに、家族の気持ちもここで、くじけてしまいました。 急に皆がシーン。こういう時って、旅の発案者には辛いものがありますね。
「ヨッシャー! そいじゃ、ここらで景気付けをやるか」
「エー、パパ、何か変なことやるの」
「そう、ここで高速を降り、琵琶湖畔から山超えして京都にショートカット。大原通るから南禅寺に行けるかもよ」
急に皆の目が輝きます。家内は南禅寺に、娘は琵琶湖に、息子はとりあえずの渋滞脱出に、各人思い思いの期待が膨らみます。
琵琶湖西岸から京都に向け、山の中に入っていきました。急な登り坂。つづれ折りの山道を4人と多量の荷物を積んだビッグホーンがゼイゼイと登っていきます。実は、出発前夜、持参する荷物を見てびっくりです。衣類に食料、もしもの時の不凍液やオイル、さらにはお土産にとパソコン一式。とまあ、この際積める物は何でもといった感じです。
「こりゃー、まるで夜逃げじゃないか」
そして、そんなフルロードに近い重量にもかかわらず、ドジな私は山道のドライブに失敗したのでした。登りのきついヘアピンカーブ、普段は減速してゆったりと回らなければならない所をキャメルトロフィーやパリダカで覚えた後輪ドラフト気味の加速とハンドリングをしてしまったのです。ミュー(摩擦抵抗)の低い土道ならばともかく、アスファルトでは機械に大きな力が加わります。
アッ、やばいかも・・・と本気で感じた、その一瞬。 ガキン!という鈍い音が、さらに後輪からガキッ・・・ガキッ・・・とタイヤの回転に合わせて異音が続きます。
―― アー・・・やってしまった
家族の目が一斉に、こちらを向いて点になっています。
とにかく止めることのできる平らな場所を探しながら、ゆっくりと走るのですが、トルクを加えると「ガキッ」の音が続き、惰性で走ると音が消えるという状況です。
「ネエ・・・車、壊れたンじゃないのー」
「だから飛行機に・・・」 と子供達の攻撃。
「このくらい大丈夫よ。パパ、こういうの得意だから」
・・・変だぞ、いつもなら攻撃側に回る家内が味方になっている。彼女を見ると、変に笑顔が引きつっています。知識豊富な口だけドライバー、きっと事の重大さがわかってしまい、子供を心配させないよう味方になったフリをしているのかもしれません。
杉林の中、峠にぽつんと開けた休耕田に不時着です。(車の不時着は高い所に・・・は、私だけ?) 太陽が明るく差し込む休耕田には黄色い花が一面に咲き、私達の立ち寄りを待ちかねていたかのように、静かな趣をたたずませていました。まずは家内と相談です。
「修理してみるが、だめだったら電話まで歩いてって、JAFに来てもらおう。それがダメだったら・・・」
「キャンプよ! ねー」と家内が子供達に向かって笑います。(どこまで本気なのだか)
「綺麗なところだし、ゆっくりしましょう」 そう言って、家内は子供達と例の毛布と食料を取り出し、黄色の花の咲く野原のような休耕田でピクニックの準備を始めたのでした。
さて、原因究明。 「風が吹くと・・・」的推理の始まりです。原因はベアリングの破損、シャフトのクラック、ギアの歯こぼれ等が考えられますが、まず後輪の一本をジャッキアップし、タイヤを回転させながら音源を調べます。
フムー、デファレンシャルギアからの音です。とすればギアの歯が欠けたのでしょうか。そういえば、パリダカでもデフを壊した車が何台かいました。一台は、後続のサポートカミオン(トラック)を待つのだとデフを道端で分解していました。もう一台は、4輪駆動をあきらめ2輪駆動で走っていましたが、途中でリタイアです。
そんなことを想い出していると、突然、ピン!とアイデアが浮かび上がったのです。それは本当に一世一代、最高のアイデアでした。方法はこうです。後輪への力を伝えるプロペラシャフトを取り除いて、4輪駆動にセットすれば、前輪のみに駆動力が伝わるというもの。いわゆるFRで走っていた車をFFに変身させばいいのです。幸い後輪は、ただ引きずられている限りは、ガキッ、ガキッの音はしません。それに作業も簡単。プロペラシャフトをつなぐユニバーサル・ジョイントのボルト上下各4本を抜くだけですから、30分もあればできそうです。
「オーイ、修理できそうだぞー」 とピクニック中の家族に大声を張り上げると 「ガンバッテー」 と花を摘んでいる子供達が大きく手を振って応えてくれます。
家族は私を信頼しているのだろうか、それとも諦めの境地に至って楽しんでいるのだろうか・・・そんな不思議に軽やかな雰囲気に戸惑いながら、草の香りがする床下に潜りこみ修理を始めたのでした。
愛用のメガネレンチをユニバーサル・ジョイントの小さなボルトに掛け、微妙に力を抜きながら、ひと捻り・・・クイッ・・・あれっ?ボルトが回らない。もっと力を入れたいのですが、なかなかできません。修理を知らない初心者の頃は、締めればいいのだとボルトを引き千切ってしまったり、六角を舐めて円形ボルトにしてしまったりと、ボルトには昔から何度も泣かされています。
もう一度考えてみます。可動部分のボルトですから通常よりかなり高いトルクを用いているはずですし、きっとボルトも強いはず。この推理を信じて、力任せにレンチを回すことにします。・・・力を込め、一気にグッ・・・カキッ 回った!・・・フウ、にしても締めのきついボルトでした。
予定どおり、30分でプロペラシャフトを外し、床下から引っ張り出すことに成功。
「ア、アナタ・・・修理するって言ってたけれど、こんな大切なもの外して、どうするのよ」
「フフフ・・・諸君、この車には前輪用に予備のシャフトを積んであるのだよ・・・ガハハ」
目を白黒させながら家内が考えています。こうした現場の知識を吸収して、「口だけ・・・」 がさらに発展するのです。オー怖。
「フム、なるほどねー。VWビートルのトランクに積んである予備エンジンと同じ事なのね。・・・あなた素敵!」
「???(何でVWビートルになるのだろ)」
(皆さんこのビートルのジョーク知ってますか?)
何はともあれ、こうして私は久しぶりに男を上げ、父親の威厳を少しばかり高めたのでありました。
その後(九州に行ったの?)
とりあえず、京都市内の修理工場を目指して出発したのですが、完璧なほどスムーズに走りますし、さらに今日が祭日だったことを思い出して、そのまま九州まで走ってしまいました。
エツ、それって整備不良車、それとも改造車じゃないの、って言われそうですが・・・。道交法からすると、どうなるのでしょう。緊急避難的措置ってのも聞いたことあります。とりあえず普通のFF車とまったく同じ原理で走ってた訳ですし、昔のことですから、まあ、ここだけの話ってことで、御内密に・・・。
それと、修理工場でデファレンシャルギアを分解してわかったのですが、ギアオイルが乳白色になっていました。どこかで写真みたいなことをやって、デフ内部に水を入れてしまっていたようです。いすゞさん、ギアの設計強度を疑ったりしてごめんなさい。
text by 北 | 2005.02.24 | [ 風が吹くと車が壊れる ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
February 17, 2005
第1回:霧にむせぶ夜
風が吹くと車が壊れる by 北
北と申します。友人は「北さん」と呼んでくれます。オーナーズクラブに初参加です。よろしく!
何で私の車は壊れるの?
「そりゃー、25万キロも乗るからですよ。・・・この際どうですか、新車!」と言ったのは、いすゞのディーラーさんだったかなー。
「エーッ・・・車って壊れるもんなの?」って呟いたのは、いつもベンツの新車に乗っていた近藤さんの奥さん。そういうラッキーな方もいらっしゃるのでしょうが、私の場合、つぶれるまで乗り続けてやろうと欲張って、日々、車には大変な目に会っております。
今乗っているトヨタ・ハイラックスサーフは、もう14年目。その前の、いすゞ・ビッグホーンは25万キロまで乗って完全な廃車にしてしまいました。
床に穴が開き、足を地面に付けることができたVWビートルに始まって、カーブをするとドアが勝手に開く自動ドア付きVWキャンパー、高速道路ではマフラーから火の粉を散らしながら疾走するスバルR2、山の中でボコボコボディーにしてしまったスズキ・ジムニー、さらには、キャメルトロフィー(ランドローバー)やパリダカールラリー(ランドクルーザー)などのトラブル脱出レースに参加してしまい、私の車人生、トラブルまみれです。
「付き合う家族も大変よねー」(口だけドライバーの家内:無免許)
「きっと、トラブルが趣味なんじゃない」(高速を走れない若葉組の娘)
「ダサイ・・・よな」(未成年の息子)
こんな悪口をいう家族と体験したトホホのトラブル、泣き笑いの脱出劇をお送りすることになったのですが、もしかして、このコラム、またトラブルに足を突こもうとしてるんじゃないのだろうかと、少しオロオロしながらキーを叩いています。
どうか優しい眼差しでお付き合いの程を、お願い致します。(北)
霧にむせぶ夜
今や、娘も車の免許を取る「お年頃」になってしまったのですが、これは、娘が小学生、息子が幼稚園の頃のお話です。場所は東京湾岸、時はクリスマス・イヴのことでした。
例年、クリスマス・イヴは子供達がケーキのクリームで顔パックするという大騒動を繰り返していたのですが、「そろそろ子供も大きくなったことですし、マナーの習得に」という教育ママのマユツバ的説得を鵜呑みにして、その年はホテルで食事をすることになったのです。子供に食事の(ォ)シツケをすること1週間、そして服を選ぶこと1日(子供ではなく、家内の)と準備は万端。そして夕刻、私達は少しリッチな気分でディズニーランド周辺のトアル・ホテルに向かったのでありました。
「いいのよミーちゃん、好きなものから召し上がれ」・・・・オー、なんという優しさ、本当だろうか、ここまで家内を変身させてしまうとは・・・恐しやホテル、などと感心しつつも、クリスマスソングが遠くから聞こえる中、オーケストラの指揮者のように我が家をうまくあやつる(モトイ)、包容する家内に導かれ、私達は、ちょっとだけスノッブな食事を満喫したのでした。
洗練されたレストラン、家内の微笑み、緊張してても良い子だった子供たち、パーフェクトに近いクリスマス・イヴの食事、後は家に戻って子供たちを寝かしつけ、ゆっくりと二人でワインを飲めれば完璧・・・のはずだったのですが。
ホテルを出てから30分、満ち足りた気分の家族を乗せたビッグホーンが東京湾岸を北上していたその時、突然、トラブル発生。
「キャー、煙よ」
車は、真っ白な蒸気に包まれています。
「違う違う、落ち着け!(本人がパニック)・・・蒸気だ」
「蒸気?」
「ジョウキ?・・・エー、パパ、この車、また機関車になったの?」
「今度は、シュッシュッポッポッって鳴らなかったよね」
以前、この車は本当にシュッシュッポッポッって機関車のような音を鳴らしながら走っていたのです。最初は音源が分らず、調べてみると、なんと・・・話が長くなりそうなので、次の機会にします。話を戻しましょう。
急いで車を止め、ボンネットを開けると蒸気がますます、まん延して、まるで映画カサブランカのよう。ラジエターとゴムパイプの間から不凍液が噴水のように噴き出しています。
「クソー!(発禁用語?)・・・ しょうがない、不凍液が完全に無くなる前にラジエターキャップを取ってしまおう!」
「えー、そのキャップ、熱い時に取ると危険じゃなかったの」
さすがに口だけドライバーの家内・・・正解。キャップにはそう書いてあります。でもラジエター内部の気圧が高いと不凍液は噴き出すばかりなので、不凍液が無くなる前に気圧を下げるしかないのです。そして、ここで必要になるのが厚手の皮手袋と布製ガムテープ(軍手や紙製ガムテープではうまくいきません)。
実は、キャメルトロフィーやパリダカでは、この2つはウエットティッシュと並ぶ必需品になっているのです。特に布製ガムテープは多くの車修理、そして人間の怪我に使えます。パリダカの夜中、砂丘超えに失敗して額を血だらけにした時も、このガムテープをペタッと貼り付けて止血しました。骨折の時もガムテープでグルグル巻き。
という訳で私の車には、皮手袋とガムテープがいつも積んであります。もちろん、その他にも色々とあるのですが・・・いかん、また脱線だ。すみません、話を進めます。
とりあえず皮手袋をはめ、開けてはいけないキャップを開けます。急に開けると不凍液が吹き出てくるので、キャップをすぐに締められるように少し押し気味にして、ジワーと捻ります。シュワー・・・<来た来た>・・・ジュバー。ここで力を抜いてはいけません。ゆっくりと待ちます。軍手だと、この辺りで火傷でしょう。待つこと10秒程、内部の気圧が下がればOK。後はエンジンが冷えるのを待つだけです。
エンジンは動いたままになっています。オーバーヒートでは、エンジンを切るとロックして再起動できなくなるのではという思いにかられ止められません。というよりも、実は私、エンジンを止めるのが嫌というか本能的に怖いのです。なんとなく二度と家に帰れないような気がして・・・。(トラウマがあるのかも)
ヒーターは利いています。ということは、不凍液はまだ残っているということです。この車、以前から変な現象がありました。不凍液が漏れるのならば理解できるのですが、不凍液が漏れずになくなってしまっていたのです。どうやらリザーブタンクが一杯になり、そこからオーバーフローしていたようです。原因は、水回りの圧力上昇で、きっとヘッドガスケットの隙間から排ガスが水回りに入り込んでいたのでしょう。その圧力上昇が今回のパイプ破損の原因だったに違いありません。
こんな、「風が吹くと車が壊れる」的な故障の因果関係を考えるのは推理小説を読んでるみたいで面白いものです。なんてことを家内に言うと、
「それって・・・単なる車お宅よ」 バサッ!・・・・ザンネン
蒸気に(モトイ)霧に・・・むせぶ海岸通り、静かにアイドリングする車内にクリスマスソングがラジオから流れてきます。家内が掛けたブラケットの中で子供たちが夢心地になってきた頃、満天の星にジェットストリームが遠い地平線の彼方に・・・・
実は! この毛布がトラブルの際の重要な役割を果たすのです。特に雪の中でスタックした場合、毛布を細長く折って、そこに
「車お宅やめて!・・・せっかく雰囲気出てきたのに」
「・・・ごめん」
満天に輝く星の空の下、私たちの車だけがモウモウと夜霧に包まれ、遠い昔に経験した甘く切ないロマンチックなクリスマス・イヴがゆっくりと過ぎていったのでした。そして、車でデート中の若いカップルが、いぶかしげに私達の車を覗き込んでは、「アララ」と呟きながら走り去っていきました。
その後(どうやって帰ったの?)
エンジンが冷えて修理の開始です。要は簡単。布製ガムテープを水漏れしている部分に、ぴったしと巻き付けるだけ。そしてラジエターキャップを開けたまま走るのです。昔、この方法で諏訪から千葉まで走ったことがあります。キャップを締めると圧力が増し水は簡単になくなります。こうした方法で家まで10キロ、何とか無事にたどり着きました。
ビッグホーンについて一言。いすゞの乗用車ディーゼルエンジンは、とても強いと評判でした。実際、完全に不凍液が無くなって数キロ程走らせたことがあります。さすがに到着してエンジンを切ったらロックして動かなくなりましたが、翌日には再度エンジンが掛かってしまうのです。おかげで、また乗り続けるという悪循環。
どうして車って簡単に壊れ、簡単に治ってしまうのでしょう・・・トホホ。
text by 北 | 2005.02.17 | [ 風が吹くと車が壊れる ] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (1)







